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桜と絵本と豆乳と

二重の意味の読書人に

2012年01月13日 | 読書
 『アイム・ファイン!』(浅田次郎 小学館文庫)

 旅の友として選んだ文庫本は,浅田次郎のエッセイ集。それも某航空会社が航空機に常備している冊子の連載をまとめたものだ。
 そんなわけで実に気軽に読める内容だったが,さすがに中国に造詣の深い作者であり,文字や漢字についての知識がぽんぽん出てきて興味深かった。


 まず,改めてこの言葉を見つめると,ナルホドと思ってしまったのが「トウモロコシ」である。
 これは「唐・もろこし」だし,さらに言えば「唐・唐土」なのだなあということに今さら気づく。

 なんとなくアメリカの広い大地のイメージが強い作物だ。原産は確かに南米であり,それが中国大陸を経由して「中国伝来食品」の典型として,わが国に伝えられたものだ。そうでなければ「唐唐土」とはならないでしょう。
 中国では,栽培が普及しそれによって食生活が安定し人口が増えたという。

 次に,「廉恥」という言葉だ。
 「破廉恥」はもちろん知っていたが,廉恥についてはかすかに記憶があるような気もするが,自分が口にしたり字を書いたりしたことがなかったのは確かだ。
 破廉恥も「ハレンチ」というイメージで覚えた者にとっては当然か。

 車中での飲食が不自然と感じなくなるほどの時代になったが,著者はそれをこんな言い回しで嘆く。

 人前でいざ物を食らわんとするとき,父祖の誰もが抱いていた廉恥の覚悟が失われてゆく。

 廉恥の覚悟かあ,と唸る。

 恥を承知でいえば,今まで「飯盒炊飯(はんごうすいはん)」と言っていたが,それは「飯盒炊爨(すいさん)」だということも教えられた。
 そして,非常に難しい「爨」の字が訓読みで,「かしぐ」ということにも驚いた。
 小さい頃に,何度も何度も聞いた言葉だ。

 「まんまをかしぐ」である。方言かと思っていたが,きちんと由緒ある動詞なのだ。
 体型維持のため?意図的に米食の割合を下げている昨今だが,「かしぐ」から浮かぶのは,ワシワシと飯を食べている活力ある頃の姿だ。


 「読書人」は「読書が好きな人」という意味ではなく,本来はかつての中国で行われた科挙に合格するような教養人を指し,そこから「読み書きがしっかりできる人」という意味に使われたそうである。

 本来の意味には到底届かないにしろ,「読む」「書く」二重の意味での読書人を目指したいものだ。
 まだまだ読書から得る知識は多いとつくづく思うし,それをまだ喜べる自分がいることも幸せだ。