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肯定感の低さの肯定

2016年12月15日 | 雑記帳
 山崎樹範という俳優をご存じだろうか。ドラマでよく顔を出す。最近では、NHKの『あさイチ』にも出ていて認知度も上がっているようだ。忘れられないのは、10年以上前の『Drコトー診療所』で、三上という若い医師を演じた時だ。人間の弱さや狡さ、そして正直さがよく表れていて、とても印象深く覚えている。



 目立つとは言えないこの俳優を、ライターの武田砂鉄がネットマガジンで論じていた。題して「私たちの大好きな山崎樹範」。その内容は、いわばどうにも前進できていない、情けなく、他人に振り回されがちに見える姿への共感であった。自分が抱いていた印象と重なり合ったので興味深く読み、その理由に納得した。


 それは俳優論や演技論ではなく、一つの社会論、教育論に思えた。武田は教育のキーワードとされている「自己肯定感」を取り上げ、教育再生実行会議が進めている「「子供たちの自己肯定感が低い現状を改善するための環境づくりについて」をテーマとした議論について、疑問を投げかけ、こんなふうに書いている。

 「そもそも自分って肯定しなければいけないのだろうか。他者の価値観にとらわれてはいけないのだろうか。」

 教育再生実行会議が昨年発表した第7次提言「求められる人材像」は、教師に対して「全ての子供の可能性を信じ、その潜在的な能力を引き出す営みを通じて、子供の心に火を点し、高い志とともに自己肯定感を醸成していくことが重要です」と求めている。その文言や方向性について、正直にかつ分析的にこう述べる。

 「なんか怖い。そういう要請を察知しすぎると、当事者は、志の高い自分を無理やりにでもPRするようになるのではないか。」

 一脇役俳優のメディアを通した姿、醸し出す雰囲気について、少なくない人が共感しているという事実に潜む現実を、見事に掬っているようだ。そこには毎年のように話題となる、某有名企業の過労死等やバッシングの問題などに見事につながる気がする。自己肯定感を一律にとらえる動きは警戒しなければならない。