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師走に「芝浜」聴けば

2016年12月05日 | 雑記帳
 「師走に『芝浜』」は、落語をちょっと知っている者なら誰でも憧れる。それをあの立川談春が、秋田でやるのだから、大ホールはやむを得ないのだろうか。談春を聴き始めて8年目、今までどれも小、中ホールだったので、まずその点がとても気になった。他の噺家の大ホール高座でも、集中できなかった経験が多い。


 いい席が取れれば良かったのだが、前から13番目のサイドとなるとかなり微妙だ。案の定、やはり視線はとらえにくいし、妙に前方の客の反応が気に障る。そう考えると、寄席の300席規模というのは、ひどく妥当なのだと思う。噺家に限らず座布団の上で演じ、全体を支配できる空間には、限界があるのではないか。



 とまあ愚痴はさておき、談春の「芝浜」がどうだったか、である。そんなに多くの噺家を聴いたわけではないが、秀逸であったことには間違いないだろう。翌日にEテレ「日本の話芸」で「芝浜」をあるベテラン噺家が演じていたが、比較にならなかった。時間的なこともあるが、表現のあまりの差に改めて驚いた。


 声や表情、仕草…どれをとっても屈指の落語家なのだから間違いない。さらに一時間以上の長さで演じるのだから、かなり談春なりの解釈も入っていたと思う。短ければ30分で結ばれるこの噺の、どこを膨らませているかというと、女房の部分が大きい。亭主を起こす時間を間違えたことを気にする女房は初めて見た。


 確かめたくて、談志のDVDも少し見たが、やはりそうだった。嘘をつく決心をする部分なども含め、女房を色濃くしながら、夫婦の情の通い合いを深く聴かせようと意図したか。近くで聴いたらもっと…と言っても詮無いことをまた思う。芸能としての完成度は高かった。「談志を越えた芝浜」かどうかは判らない。