5月、6月とPCデータの整理に腰を据えてかかったのだが、あまりにも画面を見過ぎたためか体調を崩したことがあった。
それからは、のんびり構えてしまい、雑事に紛れてなかなか手をつけないままだった。
年末となり、少しずつ取り掛かろうと、また始めた。
物品整理と同様につい中身を見てしまうので、また時間がかかってしまう。
しかし、その悪い癖に居直り、この際、集約冊子にもブログ等にも載せていない原稿をいくつか拾ってみることにした。
退いた者の戯言とも言えそうだが、実はまだ 現役バリバリの頃の放言である。

(その頃の書棚スナップ。エッセイはあるけれど、小説が一冊もない!)
---------2004.2 小学MM連載原稿
理想の小学校を描いていますか
~『理想の小学校を探して』(草生亜紀子著・新潮社)を読んで~
大型書店の教育書関連コーナーで、この本の背表紙を見て手にとり、題名を見たときにこんな気持ちがよぎった。
「理想の小学校といってもねえ…どうしても結論は個人や家庭の中にいっちゃうんじゃないかなあ」
この予想は当然ながら?ある意味であたっていた。
著者は前書き、あとがきで次のように記している。
「私の意図する『理想の学校』は、英語でいえば『my kind of school(私の好みの学校)』であって、『ideal school(理想的な学校)』ではない。」P18
「最終的には両親である私と夫の世界観・人生観が問われることになる。果たして、わが家が娘にとっての『理想の学校』たり得るかという意味で、私の中の『理想の学校』探しは続くのだ、きっと。」P153
それはともかく、出版社の編集者兼記者であるという著者の、学校への目のつけどころや自らの教育者体験を綴った文章はなかなか興味深く、載っている学校の多彩さにも惹かれて、すんなり読み進めることができた。
紹介されている学校は7校。
日本にただ一つの「バイリンガルな日本の小学校」という加藤学園暁秀初等学校。イマ-ジョン・コースという、半分以上の授業を英語で行う課程を設けているという。
岩手県にある小規模校、木細工小学校。作文を中心にすえた活動を展開し、コンクール入賞作品を次々と生み出している。
ラーンネット・グローバルスクールというのは神戸にある私塾である。「出る杭を伸ばす」を看板として、不登校児等も受け入れ、モンテッソーリ教育を推進している。
この他にも、「動物の飼育を中心にした総合学習」「学力保証を掲げた習熟度別指導」「地元の食材にこだわって継続されてきた学校給食」「週休土曜を利用して地域に広げる教育」等々が取り上げられている。
校名を聞いたことがあるのはわずか2校だけと不勉強さを恥じると同時に、自分にとっての理想の小学校とはどんなものか、というところに自然に思いがおよんだ。
著者がいうところの「私が取材してきたような意識的な取り組みをしているわけではない全国津々浦々の公立小学校」の一教員にとっての理想の学校像…。
表現や読書、研修体制など核にしたい事項はいくつか思い浮かぶが、トータルなイメージを形作れない自分に気づく。
私は人並みに、いやそれ以上に他県などの学校を見てきたと思う。
自費で出かけたところも少なくない。新任1年目でいったのは、当時独自の教育課程で注目を浴びていた明星学園だったし、昨年は新潟の大森修校長の結小学校公開にも出かけた。
しかし今となっては数え切れない学校参観を、どれだけ自分が消化できたのか心許なく感じるのは、結局自分の理想をいまだに築けていない、その作業を怠ってきたからではないかと少し唖然としている。
本の中に登場するリーダーのことば(多くは校長)は、けして声高ではないけれど、ずしりと重く響く。
「教師は、童心をもっていなくてはならない」
「学ぶのは子どもで、教師は的確にそれを見つつ激励する」
「学校に隠すものは何もない。そもそも、情報を共有しないと正しい状況判断はできないでしょう」
生きる力も学力向上も、いや顧客満足とか説明責任という言葉さえも、下位に従えられるような理念、信念がほしい。
仕事に理想を持たない大人に教えられる子どもはさみしいだろう。
理想の小学校を描いていますか。
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それからは、のんびり構えてしまい、雑事に紛れてなかなか手をつけないままだった。
年末となり、少しずつ取り掛かろうと、また始めた。
物品整理と同様につい中身を見てしまうので、また時間がかかってしまう。
しかし、その悪い癖に居直り、この際、集約冊子にもブログ等にも載せていない原稿をいくつか拾ってみることにした。
退いた者の戯言とも言えそうだが、実はまだ 現役バリバリの頃の放言である。

(その頃の書棚スナップ。エッセイはあるけれど、小説が一冊もない!)
---------2004.2 小学MM連載原稿
理想の小学校を描いていますか
~『理想の小学校を探して』(草生亜紀子著・新潮社)を読んで~
大型書店の教育書関連コーナーで、この本の背表紙を見て手にとり、題名を見たときにこんな気持ちがよぎった。
「理想の小学校といってもねえ…どうしても結論は個人や家庭の中にいっちゃうんじゃないかなあ」
この予想は当然ながら?ある意味であたっていた。
著者は前書き、あとがきで次のように記している。
「私の意図する『理想の学校』は、英語でいえば『my kind of school(私の好みの学校)』であって、『ideal school(理想的な学校)』ではない。」P18
「最終的には両親である私と夫の世界観・人生観が問われることになる。果たして、わが家が娘にとっての『理想の学校』たり得るかという意味で、私の中の『理想の学校』探しは続くのだ、きっと。」P153
それはともかく、出版社の編集者兼記者であるという著者の、学校への目のつけどころや自らの教育者体験を綴った文章はなかなか興味深く、載っている学校の多彩さにも惹かれて、すんなり読み進めることができた。
紹介されている学校は7校。
日本にただ一つの「バイリンガルな日本の小学校」という加藤学園暁秀初等学校。イマ-ジョン・コースという、半分以上の授業を英語で行う課程を設けているという。
岩手県にある小規模校、木細工小学校。作文を中心にすえた活動を展開し、コンクール入賞作品を次々と生み出している。
ラーンネット・グローバルスクールというのは神戸にある私塾である。「出る杭を伸ばす」を看板として、不登校児等も受け入れ、モンテッソーリ教育を推進している。
この他にも、「動物の飼育を中心にした総合学習」「学力保証を掲げた習熟度別指導」「地元の食材にこだわって継続されてきた学校給食」「週休土曜を利用して地域に広げる教育」等々が取り上げられている。
校名を聞いたことがあるのはわずか2校だけと不勉強さを恥じると同時に、自分にとっての理想の小学校とはどんなものか、というところに自然に思いがおよんだ。
著者がいうところの「私が取材してきたような意識的な取り組みをしているわけではない全国津々浦々の公立小学校」の一教員にとっての理想の学校像…。
表現や読書、研修体制など核にしたい事項はいくつか思い浮かぶが、トータルなイメージを形作れない自分に気づく。
私は人並みに、いやそれ以上に他県などの学校を見てきたと思う。
自費で出かけたところも少なくない。新任1年目でいったのは、当時独自の教育課程で注目を浴びていた明星学園だったし、昨年は新潟の大森修校長の結小学校公開にも出かけた。
しかし今となっては数え切れない学校参観を、どれだけ自分が消化できたのか心許なく感じるのは、結局自分の理想をいまだに築けていない、その作業を怠ってきたからではないかと少し唖然としている。
本の中に登場するリーダーのことば(多くは校長)は、けして声高ではないけれど、ずしりと重く響く。
「教師は、童心をもっていなくてはならない」
「学ぶのは子どもで、教師は的確にそれを見つつ激励する」
「学校に隠すものは何もない。そもそも、情報を共有しないと正しい状況判断はできないでしょう」
生きる力も学力向上も、いや顧客満足とか説明責任という言葉さえも、下位に従えられるような理念、信念がほしい。
仕事に理想を持たない大人に教えられる子どもはさみしいだろう。
理想の小学校を描いていますか。
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