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「選」を選べない国の私たち

2016年12月13日 | 雑記帳
 昨日発表された恒例の「今年の漢字」、なんとなく「また『金』かあ」と思った人も多いのではないか。報道にもあるように、「金」は三度目。前回の2012年のときは、学校での漢字の取組みに絡め雑感を書いた記憶がある。解字的な事柄を調べていたら、結構意外なこともわかり、こんなふうに文章をまとめていた。

------「漢字の国、金の国」2012.12.13より抜粋―――

 それにしても「金」である。
 オリンピックや天文現象などがその理由として挙げられている。確かに「金」はイメージとしてこれほど輝かしいものはない字だが、字源としては「大漢和辞典」(学研)によると、「『今』(おさえたふた)+『土』+『砂金』(きんのつぶがちらばっている)」といった意味からできているらしい。

 輝かしいものが何かに押さえられているとしたら、閉塞感充満のこの国の現在にこれ以上ふさわしい字はない。
 そういえば、かの半島の国も、その字のつく人に押さえられている状態ではないか…などと変なことにも気づく。

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 (これは昨日買った「金のなる木」です。)


 改めて読んで状況はちっとも変わらないことに気づく。こんな調子だと4年ごとに「」になりそうだ。ちなみに2位は「」3位は「」4位は「」と続く。あれっ…「変」や「震」はかつて1位を取ったときがあるが、「選」という字はないはずだ。調べてみたらその通り。「選」は1位に選ばれない字なのである。


 「選」に投票した理由は、話題となった複数の「選挙」のことがほとんどだ。いわば常連的に取り上げられる漢字の一つなのかもしれない。しかしトップを取れる漢字かというと、そうでもない。つまり、選択する機会は常に豊富にあるが、それが最終的に印象強く残らない…どこか、この国や国民性を象徴している。


 「選」は、「巽」の部分が「二人並んでいる姿」、部首の「辵(しんにょう)」が「止まっては、また行く」を表し、二人揃っていくという意味に通じている。従って「揃えてみて良し悪しをより分ける」ことになる。選択の連続によって毎日は成り立つが、私たちは本当に選ぶための手順を踏み、自分で考えているのか。