すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

フィクションの幸せな読み方

2016年12月30日 | 読書
 『つねならぬ話』(星新一  新潮社)

 1988年刊。「はじまりの物語」「もしかしての物語」「ささやかれた物語」と章立てされ、短編の神話や伝承、妄想?などが載っている。今まで読んだ星作品とは異質で、意図がつかめず肩透かしを味わった気分だ。ただ「海」と題されたタコの話を読み、結局、物語の肯定か否定かを問うのがこの本なのかと感じた。


 『幕が上がる』(平田オリザ 講談社)

 数年前話題になって、映画化されたはずだ。久々に「青春小説」を読んだ気がする。なんだか素直に高校生に戻りたいような感情が浮かんだ。肩を叩いて励ましてやりたいような…。演劇という独特の空間と、ほんの少し関わりを持ったことがある。やはり、「幕」や「舞台」の緊張感は、生の充実感と強くリンクする。


 『食堂つばめ』(矢崎 存美  ハルキ文庫)

 臨死体験をした者が足を踏み入れられる「街」で、食事を中心とした話が展開される。単なる「よみがえりもの」とはどこか違っていて、設定にユーモラスな面が感じられる。主人公が「食い意地」を持っていたことが、現実とその街を行き来するきっかけだった。結局、強く願う力は、何事にも勝ると思わされる。


 『空の穴』(イッセー尾形  文春文庫)

 イッセーの一人芝居が観たい!と無性に思った。数年前に終演?休演?という形をとったが、それまで近県での公演はほとんど見逃していない。一緒に写真を撮らせた経験も嬉しい。短編の一つ一つを読むと、どうしてもその姿や声が浮かんでくる。イッセーの演じる人物は、やはりイッセーの分身なんだと気づく。



 続けてフィクションを読み、改めて気づかされる。フィクションの持つ空間、時間の自由度はある意味無限だ。それゆえ、書く者は自分の筋道をより強固にしておかないと、その種のようなものを霧散させてしまうだろう。たぶん作者の強固に歩む道が見え、一緒に進んでいる感覚が得られれば、幸せな読み方になる。