昨日アップした原稿と同様に、小学MMに掲載した内容だった。
その最終回ということで書いた。
2002年から約2年間、慌ただしく過ごしていたその頃の自分を思い出すこともできる。そして、読書傾向が徐々に変わり始めた時期だ。
それから干支がひと回りして、また本棚に並ぶ本も様変わりをしているようだ。

---------------------- 2004.3 小学MM連載
「こんなほんだな」解体
読んだ本の題名ぐらいは書きとめておこうと思ったのは、99年初頭だった。
それから5年余り、年間100冊以上という目標はなんとか継続できている。私の「こんな本棚」も内容は軽いわりに、重量はずいぶん重くなってしまった。
自宅の建替えなどもあり、愛着のあるこの本棚を解体することにした。思い切って、本の処分もしなくてはならない。
しかし、どうしても手放したくない本もある。
ここ数年間で購入した教育書の中で、最も私の心をとらえたのはこの本だ。
■『教師の言葉が生きる瞬間』(岩下修・明治図書)■
岩下氏と言えば「指示」。86年刊『「指示」の明確化で授業はよくなる』と89年刊『AさせたいならBと言え』(どちらも明治図書)は、当時大量に発刊された「教育技術の法則化運動」関連著作の中でも、群をぬく明快さがあった。
この本も副題として「続・AさせたいならBと言え」とあり、指示のことばつまりは「B」についての突っ込んだ検討がなされている。間違いなく参考になる。
そして単なる技術論にとどまらず「長期的にみる『AさせたいならB』」が全体を貫かれていて、著者の関心はことばから身体へと厚みを増している。納得の連続である。
まさに、教師の仕事の醍醐味を感じさせてくれる一冊だ。
新書を多く読んでいる。本棚におさまりきれず収納ボックスに入れているものも多い。
改めて背表紙を見直してみると、やはりというべきか「ことば」につながるような本が多いことに気づく。
次の3冊は特に印象に残る。
■ 『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重・ちくま新書)■
■ 『「書く」ということ』(石川九楊・文春新書)■
■ 『子どもはことばをからだで覚えている』(正高信男・中公新書)■
「私にとっては、むのたけじも、糸井重里も同じだ。」
などと口走って、馴染みの飲み屋のマスターに顰蹙をかったのは昨年だった。
そういう意味で?ぜひこの新書も挙げておきたい。これからの時代の「生き方」を考える好著だと今も思っている。
■ 『インターネット的』(糸井重里・PHP新書)■
小説類はあまり多くないが、本屋で立ち読みをしてつい惹かれて購入してしまうパターンだった。
帽子を目深にかぶった少年の表紙絵が印象的なこの本もそうだ。
■ 『きよしこ』(重松清・新潮社)■
吃音のある少年が主人公の小説だ。重松氏の自伝的要素もあるという。吃音でなくとも誰もが「言いたいことを言えないまま、呑みこんでしまった」経験があるはずで、
少年少女時代のそんな出来事を思わず重ねてしまいそうな描写が数多くある。少しせつなく、そして温かい「重松ワールド」が展開される。
教師を目指したこともあるという著者は、主人公にこんなふうに心の中でつぶやかせている。
「子どもたちになにかを教える―――というより伝える仕事はとても素敵だと思う。少なくともお金を儲けるために誰か話すよりも、ずっと。」
この仕事に私たちは生きている。
(後略)
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その最終回ということで書いた。
2002年から約2年間、慌ただしく過ごしていたその頃の自分を思い出すこともできる。そして、読書傾向が徐々に変わり始めた時期だ。
それから干支がひと回りして、また本棚に並ぶ本も様変わりをしているようだ。

---------------------- 2004.3 小学MM連載
「こんなほんだな」解体
読んだ本の題名ぐらいは書きとめておこうと思ったのは、99年初頭だった。
それから5年余り、年間100冊以上という目標はなんとか継続できている。私の「こんな本棚」も内容は軽いわりに、重量はずいぶん重くなってしまった。
自宅の建替えなどもあり、愛着のあるこの本棚を解体することにした。思い切って、本の処分もしなくてはならない。
しかし、どうしても手放したくない本もある。
ここ数年間で購入した教育書の中で、最も私の心をとらえたのはこの本だ。
■『教師の言葉が生きる瞬間』(岩下修・明治図書)■
岩下氏と言えば「指示」。86年刊『「指示」の明確化で授業はよくなる』と89年刊『AさせたいならBと言え』(どちらも明治図書)は、当時大量に発刊された「教育技術の法則化運動」関連著作の中でも、群をぬく明快さがあった。
この本も副題として「続・AさせたいならBと言え」とあり、指示のことばつまりは「B」についての突っ込んだ検討がなされている。間違いなく参考になる。
そして単なる技術論にとどまらず「長期的にみる『AさせたいならB』」が全体を貫かれていて、著者の関心はことばから身体へと厚みを増している。納得の連続である。
まさに、教師の仕事の醍醐味を感じさせてくれる一冊だ。
新書を多く読んでいる。本棚におさまりきれず収納ボックスに入れているものも多い。
改めて背表紙を見直してみると、やはりというべきか「ことば」につながるような本が多いことに気づく。
次の3冊は特に印象に残る。
■ 『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重・ちくま新書)■
■ 『「書く」ということ』(石川九楊・文春新書)■
■ 『子どもはことばをからだで覚えている』(正高信男・中公新書)■
「私にとっては、むのたけじも、糸井重里も同じだ。」
などと口走って、馴染みの飲み屋のマスターに顰蹙をかったのは昨年だった。
そういう意味で?ぜひこの新書も挙げておきたい。これからの時代の「生き方」を考える好著だと今も思っている。
■ 『インターネット的』(糸井重里・PHP新書)■
小説類はあまり多くないが、本屋で立ち読みをしてつい惹かれて購入してしまうパターンだった。
帽子を目深にかぶった少年の表紙絵が印象的なこの本もそうだ。
■ 『きよしこ』(重松清・新潮社)■
吃音のある少年が主人公の小説だ。重松氏の自伝的要素もあるという。吃音でなくとも誰もが「言いたいことを言えないまま、呑みこんでしまった」経験があるはずで、
少年少女時代のそんな出来事を思わず重ねてしまいそうな描写が数多くある。少しせつなく、そして温かい「重松ワールド」が展開される。
教師を目指したこともあるという著者は、主人公にこんなふうに心の中でつぶやかせている。
「子どもたちになにかを教える―――というより伝える仕事はとても素敵だと思う。少なくともお金を儲けるために誰か話すよりも、ずっと。」
この仕事に私たちは生きている。
(後略)
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