すぷりんぐぶろぐ

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手当の本当を痛感する

2016年12月26日 | 雑記帳
 指の荒れが治らない。数年前に薬指から始まり、昨年頃から時々他の指にも見られ、一気に広がった。夏過ぎに通院し塗り薬だけでなく飲み薬も服用しているが、完治しない。手指が使いにくい生活は、結構煩わしい。薬を塗ると白い手袋をしている時も多く、なんだか選挙運動か鑑識係のようで、来客も変な目で見る。


 先週だったろうか、ベッドに血がついていたので驚いた。結局、膝に小さい裂傷がありそれを気づかなかっただけと安心したが、いつ、どこで傷つけたのか思い出せない。さらに思うのは、この頃こうした傷が治りにくいことだ。数日間放置すれば治ってしまった昔がなんだか懐かしい。治癒力の衰えということか。


 三年ほど前、『ほぼ日』サイトで単行本を買ったら、エアプランツ(写真)がおまけとしてついてきた。水気が必要と思い風呂場に置いたが、全く世話をしていないので冴えない。結局、黒ずんだ部分が増えてきてこの状態だ。何もせず放っておいて育つわけない、と薄情男は反省する。手当てにもタイミングがある。



 「手当」という語は、今なら「治療」それに「給与」というカテゴリーに入るのが一般的だ。しかし、そもそもは(辞典を開いて、第一に書かれている)、「計画」に関する意味である。後からこう対処するというとらえ方でなく、見取りや手段、算段といった段階における手当は、齢を重ねてから痛感するものなのか。