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その人なりの適応で生きる

2020年06月03日 | 読書
 「85歳で半数は要介護者であり、残り半数の多くは介護者になる」と聞いたことがあるが、エビデンスはあるのか。それにしてもまんざら嘘とは言えまい。


 同世代であれば一度ならずとも思ったことはあるのではないか。「オレも齢をとったらいつかボケるべが」…そんな想像を長く続けると「恐怖感」がわく。それは自分が自分でなくなるのではないか、という怖れだ。だからこの著の副題「記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?」には、思わず手が伸びた。


 『脳科学者の母が、認知症になる』(恩蔵絢子 河出書房新社)


 著者名には見覚えがあった。茂木健一郎が初めて英語出版した本の日本語版の訳者だった。その書『IKIGAI: 日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣」は一昨年読んだ中でも印象深い一冊だ。その関わりか茂木が帯文を書いている。「科学と『人』の間で揺れる。『人』であることを受けとめ、考え抜く。類い稀な本です。


 今のところ認知症は、医者であれ脳科学者であれ、治せないのが現実だ。家族がそうなった時どう対応するか、現在真っ只中にいる人も今後予想される多くの人も、何かしらのヒントを得られるのではないか。もちろん現実は容易くはないだろう。しかし「病気を見るか人を見るか」という視点の重みは伝わってくる。



 それは「生きる方向」とでも呼びたくなる、未来へ向けての姿勢だ。次の一言は私たちも無意識にしていることだが、改めて強く心に留めたいことだ。

 『人間は、どんな状態に置かれても、残っている脳部位を使って、自分を守り、生き抜く「適応」をする。「学び」というのは通常、より多くを覚えること、正しいことができるようになっていくことを指すのだと思うが、自分の与えられた状態を自分なりに受け入れ、生きる希望を見つけ出すことも学びと言って良いのではないだろうか。』


 忘れることも怒ることも誤魔化すことも、その人なりの適応である。「その人」を独立した個として認めるならば、「その人らしさ」とは最後まで失われるものではない。大切に思う気持ちを持ち続けられるかだ。