すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

面白いは混沌としているから

2020年06月07日 | 読書
 ふと、学生の頃からしばらく『面白半分』という雑誌を読んでいたなあということを思い出しつつ…

 『面白いとは何か?面白く生きるには?】
  (森博嗣  ワニブックスPLUS新書)


 この本は18ページに及ぶ「はじめに」と第一章「『面白い』にもいろいろある」だけでも、ずいぶん面白い(興味+満足)。面白さに共感や意外性が必須としても、今世間で通用する面白さはかなり誘導的だ。しかしそれでいて分散している。「売れる」と「高評価」は一致せず「宣伝」も形骸化。面白いは混沌としている


 「可笑しい」という笑いを生む面白さについては、お笑い文化が発展していて随分と研究されている分野だ。ここでの典型的なキーワードは、ズレとギャップだろうか。その形態の新しさが流行を作る。しかし一流を続けるプロ芸人が魅せるのは、安定に見えても絶えず修正され、変わり続けていく要素があるからだ。


 「興味深い」は人によってずいぶんと違いがある。一つ納得したのは「面白さの代表的なものは、『アクション』ではないか」という文章だ。人間には「動くものに注目する本能」があるから、例えばスポーツ観戦の人気は衰えることを知らない。つまり全ての動くもの、そして変化するものへの興味が面白さの根底だ。



 さてこの本で何度も強調されるのは、「面白さ」は自分で作られるということである。当然と感じる向きもあろうが、今の社会状況と照らし合わせると極めて薄められている価値観ではないか。周囲から「いいね」をもらうことが大事にされ、少しでも反社会的な一言があれば攻撃される。個の面白さは不自由だらけだ。


 「面白く生きていく」ことは簡単じゃないという結論になりそうだが、ある面を切り捨てれば容易に可能ことだ。つまり、自分の面白さを誰にも言わないことだ。えーっ、それではあんまり…と思ってしまう心には、本当の面白さは見つからない。著者は、実現のために必要なのは「計画」と「作業」だと結んでいる。