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コミュ力の裏地とは

2020年06月15日 | 読書
 そういえば、2年前にこんなことを書いていた。

 「コミュ力と称される窮屈さ」

 自分から誰かに対して「コミュ力」と言った記憶はない。もちろんそれが「コミュニケーション力」とは知っているが、そんな略し方をするのも気恥ずかしい。しかし、そのような些事を厭わず語りかけたりできる力が、それなのか。だからこんなふうに文字表現に頼るのか、と内省してみる。だからこんな本を読む。

 『大人のコミュニケーション術』(辛酸なめ子 光文社新書)


 小山薫堂の『東京会議』に出演している印象では、言うなれば正統派コミュ力ではなく、異端と言ってもいいだろう。時々放つ暗さ加減が面白い。だからコミュ力とは称されないだろう。しかし彼女なりの「術」はなるほどと思う。いわば分析力に近いだろうか。「処世の心得」「大人のたしなみ」は読み応えもある。



 女子会に限らず、様々な場を盛り上げるのは「うわさ」。どう付き合うか悩みはつきない。著者は「負のループを断ち切る」ために「うわさ断食」を提案?する。その方法が意外と論理的だ。「ゴシップの対象のレベルを上げる」「興味の対象を人間以外にする」…要するに欲から目をそらすための俯瞰化のススメである。


 また「年賀状のつきあい」も楽しく読めた。著者もご多分に洩れず、徐々に減らそうということを思ってはいる。多くは形骸化、または「幸せアピール満載」になっていて、そのパターン類型を鋭く突きながらもこう語る。「年賀状は、人の幸せを素直に喜べるかどうか試される、人間的成長の機会だ」…新年の試練だ。


 この新書は2016年刊だが、最近話題になった番組「テラスハウス」のことが書かれてある。その時点でも出演者に対するSNS炎上があったが騒動は治まった。対象にされた人が「意に介さず」「ハートがタフ」だったと評している。著者自身もメディアで生きる一人、真のコミュ力にはそうした裏地が必要と仄めかす。