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昭和の週番が、苦言を呈す

2020年07月09日 | 雑記帳
 5年前、隣県の温泉で還暦厄払いをした折、祝宴の進行を任せられた私が、仕込んだネタの一つに「週番」の腕章があった。セレモニーが終わり、確か乾杯の直後に指名した週番に「生活目標」(もちろん大人の宴会向け文言)を言わせたのだった。懐かしさで昇華されたその点を、恩師も笑いながら目を向けてくれた。


 今思えばくだらないように見えても、そうした「特別活動」がもたらした教育効果は結構高いだろう。小学校、中学校と違いはあるけれど、自主的自発的な場があること(実のところはそう仕向けられたのだけれど)は貴重だ。それが生活管理的な側面があったにしても、実際の社会へ向けてのステップと呼んでいい。


 それにしても、それにしてもだ。この記事を見た時は正直がっかりというか、何だかやるせない気持ちになった。

「3密」児童がパトロール 輪島・門前東小 昼休みに2人一組で
https://news.yahoo.co.jp/articles/8cfbc93c58ed6587f5d4cfda9a0a8aae1de442b8?fbclid=IwAR318fbIT40P-PmcW1-nySGcsVuwXtrZxVl-anX3Fv6bUEI6DCOp9rHsg58

 単純に評価できるものではない。しかし紹介した新聞社は「善行」として捉えているのは明らかだ。


 校長のコメントは「教員が注意するより効果があるように感じている」と結ばれている。ああそんなふうに考えた昭和の教師は、いっぱい居たなあ。同世代なら記憶があるだろう。「●●くんが、廊下を走っていました」「昨日の帰り、▲▲さんが店で買い食いをしていました」…確かに同じ相互監視か。でも牧歌的だ。


 今、この時代に全校61名の小学校で、いったい何を教え、何を育てようとしているのか。少なくとも私は実践したいリストには挙げない。根本的な発想が異なる。もしかしたら、子どもたちは嬉々として?取り組んでいるのかもしれない。そして「自粛警察」のように育つのか。それとも、物言わぬ人々になり果てるか。