すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

禍の中で考えを止めない

2020年07月02日 | 読書
 以前は5冊とっていた出版社PR誌を、今は『ちくま』と『波』にしている。好みと言えようが読み応えのある2冊が残った。今回は、新潮社の『波』7月号が特に興味深かった。書評・書籍紹介以外に「特集 コロナ禍を暮す」と題した新連載や特別寄稿があり、また対談もユニークな内容で、備忘として記したい。



 土井善晴は連載番外編として、コロナ禍の暮しの中で考えたことを記している。「食」という営みを突き詰めていけば、結局は持続可能な社会の在り様を考えることになり、今がいい機会であることに異論はない。「料理」とは自然と人間とをつなぐ行為であり、「ゆっくり」「ほっこり」するという目的に立ち返ることだ。


 内田樹が「カミュ論」という不定期連載を始めた。カミュについては門外漢だが、なぜ読まれ続けている文学作品があるかという考察には、普遍性を感じた。内田曰く「人は『所有しているもの』はできないが、『失ったもの』は共有できるという仮説を思いついた」。これは私たちの日常、歴史についても同様ではないか。


 隈研吾の新連載「コロナ禍を経て住処を考える」も面白かった。今の都市、建築の流れの発端は中世のペスト禍だとし、大きな「ハコ」による埋め尽くしが進んだという。そしてこの「オオバコ」建築は、この禍によって折り返し点に入っているという認識を示す。「秘策」とした「足す」発想は、変化を巻き起こすか。


 一躍売れっ子になったブレイディみかこのインタビューは、いつもながら多様性社会の生き方について考えさせられる。強調されたのは「教育のあり方」。英国では保育の大改革から始まったという。それは1998年だ。ますます見通せなくなる未来に、我が国はどのくらいの骨太の精神を持って礎を作ることができるか。