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取り戻したい教えとは何か

2020年07月15日 | 読書
 こんな田舎の町の小・中学校も、夏休みに数日間授業が行われる。感染拡大防止のための臨時休校の分を取り戻すということだ。しかし、いったい「何」を取り戻すか問うた時、それが教科書にある指導すべき事項というだけでは、あまりに寂しい。学校の存在意義や教育のしかるべき姿は一向にぼやけたままだ。

『名門校の「人生を学ぶ」授業』(おおたとしまさ  SB新書)


 このブログにも何度か書いた橋本武先生による『銀の匙』の授業。もし一定時間が与えられ、継続的に高学年の国語を受け持たせてもらえるなら、何か一つの教材を選び、似たようなことをしてみたいと憧れた。言い訳じみているが、もし15年前に知っていたら可能だったかもしれない。自らの縛りを解けなかった。



 さて、この新書には橋本先生のいた灘中も含めいわゆる名門中・高校のユニークな授業(行事も含む)が紹介されている。東大合格者を多く送り出すこれらの学校で行われる、実にインパクトのある実践は、将来日本を背負う者の力を確かに育ててくれるだろうと思わせる。量的には小さいが、強烈な光を放っている。


 例えば、開成中・高の縦割りチームによる大運動会はたまにTVでも取り上げられるが、単なる強調力や突破力の育成に留まらない「組織に埋没しない『個』を育てる」ねらいが明確だ。他校の「演劇づくり」「(全員)バイオリン学習」「水田稲作学習」などどれをとっても根底に揺るがない「教え」が位置づいている。


 個人的に唸ったのは、豊島岡女子学園の「毎朝5分の運針」。白い布に赤い糸で均等に縫い目をつけていく、そして毎回糸を抜き去る…単純な作業の繰り返しに何を求めるのか。他との比較もなし、自分が1ミリでも前へ行くのみ。著者がレポートする教えは「本当に大切なものは、自分の中にしか残らない」だった。


 あとがきで、著者はアインシュタインの言葉を引用する。「学校で習ったことをすべて忘れてしまった後もなおかつ残るもの、それが教育である」。学習内容の履修が学校教育の重要事項である点は認めるが、それはパーツに過ぎない。名門校でなくとも、今正対すべきは何かを真剣に考えている人達がいることを信じる。