すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その罠に絡めとられると…

2020年07月12日 | 読書
 教育実践や研究において意識するしないに関わらず「わかりやすさ」を求めてきた。ただ、もう十年以上前からになるが、次第にそれでいいのか…という思いに捉われていた。きっかけはいくつかあった。野口芳宏先生の講座を聴いて…森博嗣氏の一連の著書を読んで…今回の本も…。この新書はわかりやすかった(笑)。


  『わかりやすさの罠』(池上 彰  集英社新書)



 わかりやすさの権化のような著者は、題名に関してこう言う。「『罠』とはつまり、『わかったつもり』になってしまうということ」つまり浅い理解や誤解に陥りやすい点だ。著者は「罠」として、それ以上ピックアップはしていないが、実はこれは一つ目だ。その次は、以前も目にしたこのエピソードが教えてくれる。


 「以前、番組の中で、ゲストから『池上さんの言うことが正しいと思いますから、池上さんの考えを教えてください。そのとおりに従いますから』と言われて、『そういう考えが一番いけない』と怒った」…追従、盲信傾向だ。選挙の例が如実でトランプ大統領や小泉元首相の例が挙げられている。小池某もそうだろう。


 これらの罠に足を取られながら、三つ目の罠に絡めとられてしまう。それは情報を消費するのみで、思考停止状態となり、判断力が劣化することだ。ネットもSNSも有益にはなるが、使い方によって大きな罠になっている事実を俯瞰できなければならない。情報によって振りまわされた例を貴方は持っていないか。


 教える立場では「わかりやすさ」は大きな要素だが、それを強めることが対象者の能力や意欲を引き出すかは、また別問題だ。どんな時代になっても生き抜く力を育てたいのなら、わかりにくさに負けずに向かえる姿勢を習慣づけたい。自らに課すポイントとして「言葉へのこだわり」「よく観察すること」を挙げたい。