すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

何でも力で言い切ってしまうか

2009年09月12日 | 雑記帳
 「○○力」のイメージは私にとっては齋藤孝明治大教授という印象なのだが、分析をしている人はいるもので検索したら、こんなページを見つけた。とても面白い。

 日本語の造語力!の強さをつくづく感じるのだが、最近出た「がっかり力」までいくと、どうも行き過ぎとは言えないだろうか。

 JACKYさんの分析でも「和語(訓読み)+力」という形の不自然さに触れているが、がっかりは副詞だろうし、何でもありに突入した感じだ。

 思いつくままに挙げてみよう。

 「すぐ力」
 「ゆっくり力」
 「およそ力」
 「もっと力」
…いや、なんとなくイメージできてしまう(他の言葉と置き換えがききそう)から不思議だ。

 やはり「力」という言い切りの強さは、他の言葉を呼んでしまうのだろうか。そこに「力」とかけ離れた言葉を使うことで新しい主張のある言葉が誕生するということか。

 「祖父母力」…祖父母参観日だったので、挨拶に使わせてもらった。
 女性評論家の樋口恵子氏の言葉だそうである。
 そこには主張があるように思うし、それはそれでいいのかなと思う。インパクトの強さは標題に求められるわけだから。

 今、自分に必要だと感じていることを、○○力と言いきってしまい、毎日唱えてみたら、湧きあがってくるかもしれませんよ。

 って結局肯定してしまったか。
 「思い込み力」が強すぎる。

宝玉に出逢いたいという気持ち

2009年09月11日 | 読書
 上手いものである。

 『読売新聞「編集手帳」第十五集』(竹内政明著 中公新書ラクレ)を読んだ。

 新聞コラムの集約版というのがどれほど出版されているのか知らないが、初めて手にとってみた。昨年の下半期分なので出来事もまだ身近に感じられて読みやすかった。
 制限された字数で、多くはその日の記事になっているはずの事柄について、少し斜に構えた視点?で綴っていく…その作業を週5日で続けていく、これはもうプロの仕事だなあと思える。

 古典にも短詩形文学にも造詣が深いことが「料理する」ための条件だなと考えていて、半分読み終わった頃に著者の年齢が同年代と知ると、何だか妬ましく思えてきたほどだ。
 2001年からというからもう10年書き続けているわけで、字数感覚はもう染みついているのだろうし、いくつかある切り口(展開のさせ方)の選択で、自然に筆が動いていくのだろうか。

 本文の前に「コラムに言葉あり」と題され30ほどの引用した言葉が記されていることが、名コラムの大きな下地になっている証明でもあろう。
 ああこの人も言葉が好きなんだなあ、言葉を感じることが好きだし、言葉で揺らされ、揺さぶられることが好きだし、そして自分もまた言葉によって揺さぶってみたいという気持ちを強く持っている人なのだと思う。

 私の中にもそういう小さい熾きのようなものがあり、この本によって少し風をおくられて赤みを増したような気もする。

 「新語・流行語大賞」発表翌日のコラムは、「言葉の宝玉」と(後で)題した著者の手帳にある心揺さぶられた言葉の公開であった。
 例えば、車イスの金メダリストの言葉だ。

 (金メダルは)、今までの人生で5番目にうれしい。子どもが4人いるので…。
 
 そういう宝玉と出逢いたいと思う気持ちだけは負けてはいない。読むぞ、観るぞ、という気にさせられる。

迷路のようにくねくね

2009年09月10日 | 雑記帳
 びっくりする話だ。
 霊長類研究の権威である、かの正高信男教授のこんな文章を読んだ。

 三歳から六歳になるまでの四年間、人間はどれぐらいのペースで新しい単語を覚えていくと、お考えでしょう。 おおよそ一日平均にして、十五単語という値をはじきだした研究があります。
 
 他の調査結果も似たようなものだと言う。
 とすれば、小学一年生の段階では2万を超えていることになるが、はたしてどうなんだろう?
 小学生用の国語辞典がおよそ3万なので、6年生レベルで2万以上というのが私の勝手な予想だった。しかしこの文章できわめて自信がなくなる。

 それはともかく、幼い子どもたちの学習能力は凄まじいといっていいだろう。
 比べるべくもないが私などこの1週間、いや1カ月で何か新しい単語を覚えたのだろうか。使える単語を身につけたろうか。

 「再帰」…この前読んだ池谷氏の英会話本で知ったことばだ。
 勉強していればとうの昔に刷り込まれたはずだろうが、今さらこんな言葉に出会っても、使いこなせるわけないじゃないか。

 とは言いながら「再帰」について少し考え込んだのはなぜか。
 言葉への興味、獲得したいという気持ちが湧くからだろう。
 正高氏によれば、言語の学習を促すのは社会的関心を浴びたいという人間の本性らしい。これは別に年齢を問わずあるのだろうが、馬齢を重ねた者がいくら難しいことばを知ったとしても
「わあ、そんな難しいことば使えるの。偉いわねえ」と誉めてくれる人はいないだろうし、「へっ、知ったかぶりがあ」と思われるのがオチだろう。

 誉めてもらえるとすればそれは、難しい単語であっても聞く人の立場になって、わかりやすい言葉に置き換えたり、身近な事例と結びつけたりして、説明できた時であることは容易に想像できる。

 再帰なんて難しい言葉を真に知るということは、それを手持ちの平易な言葉に置き換えられるということだよ。

 これを再帰の形式にすると、
 私は、言葉を知るということは私がそれまで習得した簡単な言葉に置き換えたときに成立したと考えている。
 ということになるのかな。

 つまり再帰とは、主語と述語である事柄を括ってしまう文法のことだ。かなり限定的だけど。
 それが自己を客観視できるということにつながる。

 迷路のような文章になってしまった。
 行きどまりか。脱け出せるか。帰れるか。

絵説きをする心がけ

2009年09月09日 | 読書
 午後の読書の時間を利用して教室を回り、紙芝居をして歩こうと思っている。
 
 その前のお勉強ということで、ウィキペディアで「紙芝居」を開いてみたら、知らないことも多くて結構面白かった。

 まず「立絵」と「平絵」ということ。
 平絵は現在の形であり紙に絵が描かれた紙芝居を指す。立絵は言うなればペープサートということだ。人形芝居との境目をどう考えるのか明らかではないが、そういう時代があったこともなるほどと思う。

 街頭紙芝居は子どもたちに飴を売って儲ける大道芸的存在であったことを考えると、客集めのために内容が低俗・俗悪に流れるのは当然のことだったか。
 何やら視聴率を求めるテレビ局の不祥事・惨状にも似て、メディアの規模は違っても一歩踏み外すと単なる見世物になってしまうのは、人間の心がけ次第というべきか。

 農村に生まれた自分だが、街頭紙芝居の記憶はわずかながらある。
 しかしその華やかな場所がどこであったか今でもはっきり覚えている。
 全国的に見ればそれはもう都市部で廃れはじめ、地方に流れて?きた時期だなと想像できるが、いつが最後だったかははっきりしない。
 いずれ勝者はテレビであったか、貸本屋であったか。

 説明の中に「絵説き」という言葉があった。
 辞書には「絵解き」はあっても「絵説き」はない。考えてみればなかなか素敵な言葉だ。
 絵に描いてあることを説く、けして道徳的な意味合いだけで言っているのではないが、絵の情景を声と表情で聴き手に伝えることは実に手作業感覚がある。

 双方向性と一体感は、TVなどの一方通行のメディアでは得られぬ紙芝居の特質である。 

 その特質を得るために何が必要か。

 聴き手に反応できる演じ手…言うは易く行うは難し、である。

本当の姿が見えるかどうか

2009年09月08日 | 読書
 『本当に生きた日』(城山三郎著 新潮文庫)

 題名、著者を考えると、いかにも硬骨漢が幾多の難関、障害を乗り越えるような小説が想像できるが、なんとこの物語の主人公は女性であった。

 しかも、三十代専業主婦。ごく平凡な何か特別な取り柄があったとも言い難い主人公が、いわゆるやり手の友人に強引に誘われ「家庭人材研究所」なるところへ勤めて、様々な出来事に翻弄されていくという筋である。

 この小説は昭和61年に地方紙に連載されたものだという。前年に男女雇用機会均等法が改正されたことを考えれば、まさしく時流を描いたと言ってもいいのだろう。

 女性が社会進出するための(この言葉自体が古い感覚と思うが)、ノウハウは「MNN」だという件が出てくる。M…メンター、N…ネットワーク、N…ニュースバリューということらしいが、これは二十数年経過した今も、男女による違いもあまり変わらないことではないか。

 女性絡みだったからか、ビジネス界からは少し離れるが唐突に今年の某テレビ局の24時間テレビのマラソンのことを思い出した。
 あの企画自体どうかと思うしマンネリも避けられないはずだが、それをなんとか盛り上げたいという意図は強く感じる。
 今年のランナー選択には同放送局番組から持ってきていて、ある意味MNN全ての要素が揃っているんだなと思った。ただその後がどうなるのかこれも予測がつくような気がするし、昨年の芸人にしても似たようなものではないか。

 こう考えていくと、どうもこの国では目立ったポジションについた女性が順調にいっている例が少ない。そこまでの経緯で周囲に仕立てられたという要素が強いためではないだろうか。今話題の政界はまさしくしかりであろう。

 「背伸びをするのよ。背伸びを続けていると、ほんとうに背が伸びるそうよ」
 
 主人公の友人が放つこうしたポジィティブな言葉は、能動的に生きようとするためには励ましにはなるが、妙に白々しく聞こえた部分が多かった。
 それはきっと内省が足りないという印象を持ったからだろう。著者もまたそう感じさせる描き方をしているように感じた。

 結局は事故死してしまうもう一人の主要な人物が、主人公のよさについて語った一言がより印象的だ。

 「いい聞き手には、人生はゆっくりと本当の姿を見せてくれるわ」
 

ハンカチーフの時代、遠のく

2009年09月05日 | 雑記帳
 全校集会で「ハンカチ」の話をしようと思った。
 以前何かの本で「ハンカチはなぜ真四角か」というクイズがあったことを思い出し、インフルエンザ予防の手洗いのこともあるからなあと考えた。

 かのマリーアントワネットが王に頼んで、「ハンカチの縦と横の長さを同一にするべし」という命令を出させたというのが史実らしいが、それまでアクセサリー、ファッションとしての役目が強かったということを考えると、実用として根付かせた功績はなかなかではないか。
 ネッカチーフとかスカーフとの違いなどはどうなのだという疑問も浮かぶ。
 それはともかく、モノの役割が劇的に変わるのはやはり政治の力か。新政権にも期待したい(これはまた別か)。

 ちょっと調べていて気になったのは、「ハンカチは別れのしるしなので、贈り物としての場は限定される」ということである。

 確かに、転任などの際に限って使っていたし、やはり「涙をふく」という大切な役目があるではないですか…と当然だと思っていた。
 出典は不確かだが、中国の古い話で特に白いハンカチは悪い意味とうんちくを語っておられる方もいた。
 個人的に一番気にいった解釈は「浄化」である。白いハンカチの持つイメージにぴったりするような気がした。

 しかし、現実には今若い人の中では、そんな慣わしやイメージにとらわれずバレンタインに贈っているというサイトもあったし、そもそも別れの象徴ということ自体聞いたこともない若者もいるらしい。

 ああ嘆かわしい。
 年寄りの繰り言のようだが、それでは別れの涙をなんでぬぐう。
 ああ、そもそも涙なんて流さないそんな関係しか作れないのかもしれないなあと、また嘆く。
 感動話や泣ける歌ブームはまたその裏返しで、自分で酔っていればいいやという風潮なのかもしれない。それもまた寂しい。

 何より悲しいのは「木綿のハンカチーフ」の時代が遠のくことか。

今ある脳回路を生かす

2009年09月03日 | 読書
 前から気になっていた本だった。

 英会話には縁がないしなあとためらっていたが、「はじめに」を読んだら何だか面白くて、つい買ってしまった。

 『怖いくらい通じるカタカナ英語の法則』(池谷裕二著 講談社)

 いやあ、今をときめく脳科学者が英語が苦手だったとは、そのこと自体が少し意外な気がしたし、またそこから這い上がる過程の頭の使い方はさすがだと思ったし、何よりこの潔さ。それも脳科学のエキスパートが言うのだから、重み?が違う。

 どうせ、私たちには英語発音するための脳回路がないのだから
 
 実践編を読んでも練習する自信がまったくないのだが(やる気がないということか)、意識改革編だけを読んでも十分に刺激的だ。

 初心者に難関といわれる「B」と「V」の発音が、仮に練習して上手だとネイティブの人に誉められたとしても、自分の発したBとVはまったく同じに聞こえるはず、脳回路はBとVを聞き分けられない…という箇所は、ショックでもあり、安心でもあり。

 9歳の壁 

 音声言語の習得に関するこの事実は、今まさしく始まっている小学校における外国語教育に大きな枠があるということを示している。それを知れば逆にねらいが絞られるとも言えるだろう。

 日本語の発音数が少ないので、同音異義語が多く、従って想像しながら聞く力がつくのだ、というところもなるほどの展開だった。

 言葉が人をつくるのだなあと思わず大きなことを考えてしまう。

この国のかたたち

2009年09月02日 | 雑記帳
 もうすぐ辞めるリーダー、A生さん。
 なぜ、漢字が読めないのか。

① 射撃が好きで、あまり読書をしなかったから。
② 昔から間違っても、誰にも指摘されなかったから。
③ 些細なことを気にしない、状況把握も必要ない性格だから。
 
 正解③ テレビのクイズ番組に出て、ボケまくってほしい。


 もうじき新しいリーダーになる、H山さん。
 なぜ、変なネクタイをするのか。

① 奥さんのお薦めなので
② 派手ネクタイブームで景気回復
③ 目の大きさに対抗するために

 正解② ネクタイ外交をして話題をふりまいてほしい。


 選挙によって騒ぎがおさまってような、S井容疑者。
 どうして、覚醒剤なんかやってしまったのか。

① 一つ屋根の下の夫に勧められて
② 碧いうさぎに勧められて
③ 星の金貨はこれだと思ったから

 正解不明 のりPには不幸な顔が似合う。業を背負った表情で五年後にカムバックしてほしい。