百醜千拙草

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陰謀論者の矛盾

2014-04-25 | Weblog
民主党政権が潰されたぐらいのころから、私は、世の中の出来ごとに陰謀論的な見方をすることが多くなりました。しかし、最近、残りの余命も考えて、疑り深く他人の悪意を探って日々を暮らすよりは、人の善意を信じて、騙される時には騙されてやる方が長期的には得なのだろうと考えるようになりました。「Trust, but verify」と言いますね。信用した上で確認する、そこで止めておくわけです。私も普段は政府や役人の悪口を散々、言うわけです。確かに悪人はおります。しかし、そういう組織を作っている構成員全員が悪人であって、一般国民を搾取して年貢を搾り取ることばかり考えているというわけでは勿論ないわけで、おそらく大多数の人々は普通の人で、単に、喰っていくために組織のしきたりに従っているだけだったり、あるいは、それどころか善意で一杯の人も多くいるでしょう。政府が、役人が、東電が、とわれわれは組織に対して怒るわけですが、その構成員の一人一人からすれば、組織防衛というあたりまえの行動を取っているに過ぎないというぐらいの認識ではないだろうか、とも思ったりします。

それで、今回のSTAP騒動ですが、一段落して事件の全貌がわかってきたら、結局、何のことはない、実は、未熟な人がデータを誤って解釈し、興奮したシニアの人が、功名心と研究費につられて、ろくに確かめずに煽り立てた挙げ句に、筆頭著者の人は逃げ場を失って、ウソを塗り重ねたという、一般社会ではありがちな「つまらない話」であったというのが真相のようです。(もちろん、研究の世界では、捏造はFelonyです。事件の本質がつまらないという意味です)私は研究現場にいますので、この事件に登場した研究者の人の心理も事件の背景もだいたい分かります。

ところが、面白い事に、研究現場を知らない人や週刊誌は、あることないこと、憶測と妄想を交えて想像力豊かな話を作り上げるのですね。たとえば、まるでこの筆頭著者の人は正義の味方で、理研の利権構造を暴こうとして嵌められたのだとか、利権がノーベル賞並みの発見を独占しようとしているのだとか、断片的証拠の上にさまざまな仮説が乱れ飛んでいました。私も研究現場を知らなかったら、週刊誌やこの手の話に乗せられていたかも知れません。ただ、研究活動を通じて、現実が小説よりも奇であることは稀であり、殆どの現実は面白くない話である、ということを知っているので、様々な仮説について証拠を総合的に検討すると、結局はありがちな話であって多少の個人の思惑はあったとしても陰謀論的な面白い話ではなかった、というのが正直な感想です。

というわけで、真実(というものがあるとするのなら)それは、さまざまな情報から導き出される解釈のうち、陰謀論的立場と普通の素直な立場の間のどこかにふらふらしているものだろうとあらためて思いました。科学は、観察事実の素直な解釈を疑うことによって新たな解釈や事実を探ります。科学者が疑り深いのは職業病でしょう。しかし科学者の疑り深いのと、いわゆる陰謀論者の疑り深いのには差があると思います。後者は、事実に対して疑り深い一方で、陰謀の存在は無根拠に信じていたりすることが多いワケです。矛盾してます。同じ疑うのなら「陰謀が存在する」という仮説も疑っておくべきですね。

それで、行方不明になっているマレーシア航空の事件のことをちょっと考えました。余りに飛行機の行動が不可解で、(離陸後、交信を立ち、急旋回して逆方向に向かい、非常識な高度で飛行し、しかも6時間ぐらいは飛行して消えました)、飛行機に詳しくない私は、陰謀論的解釈に心ひかれたわけです。例によって、さまざまなウワサが飛んできました。飛行機には中国人技術者が数人乗っていてライバル会社(国)誘拐された説、アフガニスタンに不時着してロシアに拘束された説、ディエゴガルシアに着陸して、アメリカとイギリスの軍事基地内に取り込まれた説、機長がマレーシア政権に反対の立場であったので消された説、、、などなど。機体の残骸がオーストラリア沖で見つかったという報告後、全く進展がないのも陰謀論に拍車をかけました。ところが、たまたま、飛行機の専門家の人が書いたしばらく前の推測記事を読んで、成る程、と腑に落ちました。もちろん、この解釈が本当なのかどうかはわかりませんが、現時点でもっとも整合性のあるセオリーです。要は、火災事故であり、ハイジャックでも暗殺でも誘拐でもなかったということではないか、ということです。記事をリンクします。

MH370便に関する合理的な説

研究データでも、興味深いデータが出たら、まずは、もっとも面白くない解釈を消去する作業が必要です。この時点で9割ほどの大発見はつまらない話であったという結論に至り、がっかりします。(STAPも本来、この段階で消えているはずでした)同様に、この手の事件でも、面白そうな陰謀論的解釈に走る前に、面白くない解釈をじっくり検討すべきでした。それで、とくに専門外のことにはニュートラルな立場で眺めるようにしようと反省した次第です。
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