今年も早くもあと10日ほどとなりました。今年は大変な年でした。
個人的にも実感しましたが、この数年の低調が今年になって岩底に達して、ガン、ガンと底を打つような出来事が連発しました。
古典ヨーガによると、世界は4つの時代を繰り返すそうで、現在はカリユガ(暗黒の時代)だそうです。それは物質主義で「目に見える物がすべてで一番大事」という時代で、徳が4分の1、罪が4分の3を占め、悪徳が支配する時代であり、善悪を区別する力すら失われ、教えを説くものが虐待される、そうです。日本の政治と社会を見ていると「なるほど」と思います。その何千年単位の時代のサイクルの中にも小さなサイクルがあるというフラクタル構造になっているらしく、星占いによると、今日は「木星と土星が水瓶座で大会合する」20年に一度の日らしく、これを境に、物質主義の「地の時代」から、精神主義の「風の時代」へと変化するのだそうです。
「夜明け前が一番暗い」という喩えでいうならば、今年は夜明け前のもっとも深い闇を経験した年だったように思います。これから三寒四温で春に向かうように、悪い出来事が減っていて、よい出来事が増えていくのではないだろうか、と期待しております。辛い人生を生きるのには、未来の良いことに対する期待、つまり希望が必要だと思います。
ユダヤ人収容所での経験を描いたフランクルの「夜と霧」の一節には、
「生死を分けたものは、未来への希望であった。わずかな希望を持っていた人が生き延びることができた。希望を失った人は次々に死んでいった」
という記載があります。
その希望は、それでは、どこから来るのでしょうか。中学生のころ、魯迅の「故郷」を読んで、心を動かされました。あのころの文学、中国であれロシアであれ日本であれ、いずれもが同じような空気を醸し出しているように感じます。その「故郷」の最後の「希望」についての一節は、ずっと心に残っています。
「希望は本来、有るというというものでもなく、無いというものでもない。それは、地上の道のように、初めからあるのではない。歩く人が多くなると初めて道が出来るのだ」
なるほど、希望は歩くことによって作られる、というのはいい喩えです。歩くとは多分、日々の生活を営むこと、「Show up for life」することではないかと思います。
このコロナ禍でうつになった人には、文字通り「歩く」ことが効果があると思います。可能であれば、ジョギングもいいでしょう。
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