百醜千拙草

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全体主義のプロパガンダ

2022-03-22 | Weblog
先日、子供が残していったものを整理していたら、ジョージ オーウェルの「動物農場」が出てきました。高校時代に読んだもののようです。

オーウェルは若い頃、スペイン内戦時、フランコによる独裁政府の反政府活動員として、マルクス主義統一労働者党に加わったところ、スターリン指導下の共産党による粛清に遭い、結果として反スターリン派の民主社会主義者になったとWikipediaにあります。動物農場に関しては、「報道の自由とロシアのスターリン主義と共産主義への痛烈な批判。人間の農場主へ革命を起こした動物たちが二人の指導者の片方により苛烈な支配をされる過程を描いた風刺小説」とまとめられてあります。

子供の持っていた版は、ピュリッツァー賞ジャーナリストであるRussel Bakerが
前書きを書いたもので、そこをパラパラと読んでみると、「動物農場」のウクライナ版が出版された時の前書きで、オーウェルは、スペインでの粛清の経験から、「民主主義国家の優秀な人々の意見が、いかに容易に全体主義プロパガンダにコントロールされるかを学んだ」と述べたそうです。

今の日本を見ていると、この言葉を人々は肝に銘じるべきだと思います。とくに、同調圧力が強く、長いものに巻かれて付和雷同するのが処世術とでも考えられている日本という国で、少数意見を主張したり、あるいは全体主義に注意すべきだと当たり前のことを言うだけでも、叩いて萎縮させようとする連中が山のように出てきます。自分の頭で自分の考えを練り発言する努力をするよりも、多数派に従う方がラクだからでしょう。考えなくて済みますからね。

全体主義を煽るステルス的なメッセージは子供のみるアニメにも危険なぐらい溢れています。アクションものは大抵、敵がいて、自分の同胞を攻撃してくるものと戦うという筋ですけど、「街や村の人々を守る」ために身を危険にさらして敵と戦うことが美徳のように描かれます。いまの与党の極右政治家はメディアを巻き込み、着々と抑圧的な全体主義、あるいは民主主義が非国民であった時代に向けて動いているように私には見えます。この空気はすでに広く一般国民にも広がりつつあります。

今回のロシア侵攻に関して、多くの日本人がロシアが独立国家に侵攻し戦争を仕掛け、多くの民間人が犠牲になったという一点をもって、ロシアが悪だから、ウクライナを助けないといけない、という単純思考をしているように感じます。そういう意見が多数なので、その意見は正しく、それに反対するものは「非国民」だとでもいうようないじめチックな雰囲気さえあります。そこには、なぜこの戦争が起こったのか、プーチンの目的とゴールは何か、この予想されたロシアの行動に対してなぜゼレンスキーは対処を怠ったのか、というような考察がかけています。さすがに、漫画のように「プーチンが人殺しと破壊に快感を覚える異常者で世界征服の野望をもっていたからウクライナに戦争をしかけた」と考えるような人はいないでしょう。侵攻については、議会で議論され、国民に対しては、プーチンは侵攻の前に一時間にわたるウクライナとロシアの歴史について演説をし、ウクライナ侵攻の理由を説明して、説得しようとしたのですから、この戦争には、少なくとも、ロシア議会が納得できるような論理と証拠に基づいて議論されるに値する正当な理由が(ロシアには)あったはずです。

また、ウクライナも一枚岩ではなく、大勢のロシア人やロシア人との血縁者が住んでいる国です。民主的な手続きを経て大統領は選ばれましたが、それは別に彼に国民生活に直結する政治の全てを白紙委任したわけではありません。いま、彼が西側諸国や日本で演説をして、軍事的協力を得ようとしているのは、冷静に見れば、彼がロシアの侵攻を防ぎ、ウクライナ国民の安全を確保するための施策を怠った結果であり、その責任の一端はアメリカや西側諸国にあると考えているからでしょう。ならば、ウクライナ国内には、大統領の西側への過剰な擦り寄りと対ロシア外交の失敗が招いた惨事であるという批判がウクライナ国内には当然あるものだろうと想像されます。その辺のあって然るべき議論や批判もあまり聞こえてきません。私が不気味に思うのは、メディアは単純に出来事を伝えてロシアの攻撃を非難する浅薄な報道に終始し、そうした根源的な事実や疑問に関する情報が(侵攻当初には多少みられたのに、今では)ほぼ議論されることもなくなっているように感じることです。ツイッターでは「ロシア悪、ウクライナ支援」の大合唱ですが、私はオーウェルの言う「全体主義のプロパガンダ」の匂いが強くなってきているのを感じます。

先日のアメリカ議会の演説で、ウクライナ大統領はno-fly zoneを再度要請しました。これはアメリカとNATOがウクライナ上空のロシア戦闘機を攻撃することを意味しますから、アメリカがウンというはずがありません。アメリカとNATO諸国は戦闘に,加わらず、武器や物資の供与でお茶を濁すつもりです。彼ら自身の利益、国益を考えれば当然でしょう。ロシアもこのアメリカやNATOの動きを見て、その意図を理解したはずです。これが普通の政府の考え方です。自国の利益を損なわないこと、それが優先です。

しかるに、日本は政治家が、与野党、前のめりでウクライナ側に立つという姿勢を示そうとしています。慎重なのは、共産党とれいわ。ロシアにとって、日本はアメリカの属国ではあっても敵ではなく、むしろアベのばら撒き外交のおかげで、カモであったはずです。今回の日本政府の安易なウクライナ支援の表明は、全体主義に流されやすい日本人のその傾向を刺激し、ロシアに要らぬ不快感を与えたかも知れません。下手をすると、ロシアは北方領土に日本の原発を標的にしたミサイル基地さえ建設し始めるかもしれません。日本政府は、まず自国の心配をした上で、ウクライナの心配をするのが順序です。しかし、安易にウクライナに防弾チョッキを贈ったり、ウクライナ大統領に国会で遠雑させることがロシアにどういうメッセージを送ることになるか考えているようには見えません。

戦争は絶対悪、ロシアが悪いと非難するのは 簡単です。そしてそれに同意しない人を批判するのも容易い。しかし、いくら日本やその他の国々が、「戦争は悪、ロシアは戦争をやめろ」と言ったところで、起こってしまった戦争を止めるのには役に立ちません。むしろ、第三国の政府ならば、戦争当事国の一方に安易に与するような行動をとることが、如何なる結果を産み、その国民や引いては世界の安全と利益にどういう影響が考えられるかを熟慮した上で、ウクライナ大統領の国会での演説やウクライナ政府への支援を考えるべきでしょう。

長くなっていまいました。全体主義が危険であるのは、多数派にのれば安全で、自分の頭で深く考える必要がなくラクだからでしょう。それで、感情に任せて容易に流され、あっという間にブレーキが効かなくなるのです。特に日本人にはこの傾向が強い。

宮沢喜一の言葉、保守とは立ち止まること、立ち止まって考えることだ、という言葉を思い出したいと思います。
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