オス蜂は営巣時期の〆として新女王と同時期に生まれる。
巣から独立し外を徘徊し秋のある日、たぶん他所で生まれた新女王と出逢い交尾する。
精子は精嚢ごと女王の体内に取り込まれて、短い一生を終えるのだそうだ。
女王は一匹のオスとしか交尾しないということは、一匹で十分な精子が得られるということだし、あぶれるオスもでて来るだろうということは、女王も同じか。
捕まえた時に針を出し入れしていたので、メスに違いない我がヒメは新女王で交尾後であって欲しい。
未婚か既婚か知る方法はないだろうか。
これを捕まえた同じ場所にヒメスズメバチと思われる蜂が来たのだが、獲り損ねてしまった。
同居させたらどうなるかを見たかったのに残念でたまらない。
もしかしたら婿さんを紹介できたかもしれないのに。
ヒメスズメバチは主にアシナガバチの巣を襲って生きる蜂なのだそうで、狭い食生活だから営巣と育児の期間が短い。
ヒメスズメバチ限定の寿命を調べたが私の検索では分からなかった。
スズメバチ全般では、働き蜂が2週間から1ヶ月程度で女王蜂は1年だとか。
私の捕まえたヒメが働き蜂ならば、もうすぐ寿命を迎えるはず。
今年、卵を産み続けた女王ならこれもまた寿命は尽きたも同然。
今年生まれの新女王なら、来年が本来の活動年だから越冬しなければならない。
飼い始めた私としては新女王だと思いたい。
1ヶ月前に仲間と別れ、冬眠場所を物色していた時に私に捕まったのではないか。
ほとんど一日中、レンゲ印のブレンディット蜂蜜にしがみついて過ごす。
中国とアルゼンチンのブレンド品に彼女は夢中。
以前から丈夫でがっしりしたイメージのある百日草を自分のうちで咲かせたいと思っていた。
種を適当に蒔いておけば育つのだろうと思っていたら、芽はかなりでたが育ったのは数えるほど。
しかもひょろひょろしていて、こんなに虚弱な百日草は初めて見るくらいの情けなさ。
それでも花が咲いた。
地面には、いつのまにか今まであまり見たこともないような雑草がはびこっている。
ピンクの花の横に伸び上がっているのは、もう実もなく花も咲かず生きているだけのゴーヤのつる。
左下は田舎から持ってきた浅葱(アサツキ)。
百日といえば、長い期間という意味だろうから、寒くなるまで咲き続けてくれるのか。
咲き終わったのを摘むと脇芽がでて来るそうだ。
ワキメと聞けば、自嘲気味に『脇目も振らず』が思い起こされる。
百と聞けば、九十九年借りるなんていう条約を決めてそのまま自国にするつもりが、九十九年経っちゃって返還した香港の騒ぎを思い出す。
百歳を超えて生きた義理の伯母さんのことも思い出す。
あと30年ほども生きてみたいもの。
早朝、駐車場所確保のために予約の1時間前到着を目指して車を走らせていて、事故現場にでくわした。
もしかして10分余り早くでたら、なんらかの当事者になっていたかもしれない・・・というふうには考えない。
あーぁ、今日は当たりの日かも・・と思った。
結果としては何の関係もなく、転移がなかったから逆の大当たりだったのけれど。
この事故の原因は、見たところ、どちらかが信号の変わりばなを『えーぃ、行ってしまえ・・』で、もう一方がそういうこともありという予測をせずに急発進したと思われる。
T字路なのだが、鋭角に二つの道が合流する形。
転がったバイクと寝転んでいるケガ人の間に救急車が割り込んで処置している。
ハザードランプを付けて停車中の運転者が警官に説明しているところ。
無謀とウッカリの衝突だっただろうけれど、無謀の方が比率としてはずっと悪かった筈・・と瞬間を見てもいないのに、思う。
こういうことの当事者になる場合を考えて車載カメラを付けなくては・・と思いながらも、まだグズグズしている。
骨シンチグラフィー検査が終わってから、最終診断までに2時間半余りの時間があった。
過日のCTと本日の骨シンチグラフィーの結果が京大医学部のクラウドに乗り、画像解析のスペシャリストが所見を付け、担当医が最終判断をするという段取り。
昼食時間帯には、コンビニも食堂もざわついているだろうと思い、ベンチで過ごす。
建物群の間に使えない隙間があり、雨が降っているのに何を目的としているのか鴉が2羽で濡れそぼっていた。
不吉だとも何とも思わないけれど、結構あっち向いたりこっち向いたりで、2羽が同時に鴉らしい姿にポーズをするまで時間がかかった。
ようやく呼び出し受信機の指図もあり、診察室に入った。
先ずはCTの結果からの不審点を指摘して質問をされた。
肝臓のここにおかしな部分があって・・・これは憩室だと思うんですが・・と言われた。
毎年の健康診断での超音波画像診断で言われ続けていることなので、それを言うと、他には不審な部分は一切ないとのこと。
次は骨シンチの画像をパソコン上に出しながら、これも不審点がある様子。
我が人生を左右する分岐点なんである。
右胸を何か手術されましたか・・・と聞くんである。
あーそのことか・・・で、赤ん坊の頃にケガをして肋骨を一部分摘出し、そのあと骨が伸びて繋がっていると伝えた。
そうしたら、軽〜い調子で・・あーそれだったら何にも問題ありません、骨に転移はありません・・とのこと。
普通だったら、このレべルの癌の場合は骨シンチはやらない場合が多いのですが、京大の場合は必ずやるようにしています・・とも言うので、なぜ胸のケガ部分に薬が集まるのかと聞いたら、そういうものであり、決して癌の転移ではないと太鼓判。
そうして『どこにも転移のない限局性癌です』とはっきり断言された。
この期に及んで、『癌ではありませんでした』と言われるはずはなかったので、万歳!・・とでも最大限に喜ぶべきところではあったけれど、やはり大きくため息を一つという気分だった。
ときどき手作りケーキをくださる人から、今度はカステラのご馳走。
日本ミツバチの蜂蜜を、今までのお礼を込めて差し上げたのが、倍返しになってきて恐縮の至り。
その蜂蜜を使ったというカステラの大きさは23cm×23cmものサイズ。
私は毎日自前の蜂蜜をなめているので、このカステラを一口食べて、我が日本ミツバチの蜂蜜の匂いを瞬時に嗅ぎ取った。
ちょっとクセがあるから日本ミツバチの蜂蜜を嫌う人もいるのではないかと思えば、無闇に差し上げるべきではないかも知れない。
トーストにつけて食べたら美味しかったと言ってくれて、奥さんがそれを使ったカステラを作って返してくれるご夫婦は別格。
西洋ミツバチの蜂蜜を与えられて、かろうじて生き延びているヒメスズメバチが向こうから覗き見ている。
くるみ、カシューナッツ、アーモンド、うす皮付きピーナッツの小袋二つ分を小瓶に入れて、蜂蜜を入れただけ。
ニンニクのみじん切り空き瓶は、どんなに洗ってもフタに付いたニンニク臭が消えない。
太陽光に晒しても消えない。
気密シリコンゴムに溶け込んだか・・・。
それならばと、『ミックスナッツのニホンミツバチ蜂蜜漬けニンニク臭付き』を作ってみた。
いつ食べごろになるか全くわからないので、毎日一個ずつ食べて見るつもり。
静脈に検査液を注入してから、きっかり3時間後にシンチレーションカメラの撮影が始まる。
RIの検査棟の扉や職員のスリッパなどには、黄色地に赤の換気扇に見える放射能マークがついていた。
微量でも職員の仕事時間ローテーションはきっちり決まっているのかもしれない・・などと思うのは、これを書いている時。
検査直前にオシッコをしておくようにと言われていたので15分ほど前に済ましていたのだけれど、もう一度しておくようにと指示を受けた。
直前とは、本当に直近直前のことなのか・・、出ないだろうと思ったけれど少し出て、何だか褒められそうにホッとする。
放射性同位元素が尿とともに膀胱に溜まると、それだけで部分的被曝を受けるとか、膀胱近辺が正確に映らないなどの弊害があるそうだ。
装置に寝ると、位置を微妙に指図された。
軽くベルトで抑えられて、機械が顔に接近するから目をつぶっているようにと言われる。
そう言われると確かめたくなって、作動中に目を開けて見たら、鼻の頭に触れる寸前まで迫っていたから目は閉じずにはいられない。
じっとしているように言われて無念無想の30分。
呼吸を意識し始める。
ことさら腹式呼吸をしているようにとは言われなかったが、普通に呼吸したら肋骨も肩も動くのではないかと気になったり、痰が絡んでしまったら困ると心配したりしながらも何とかやり過ごせた。
画像は、先日受けた全身のX線CT画像とともに比較検証されて診断となる。
乳癌、肺癌、前立腺癌は骨転移の割合が大きいという記述を、先ほど検索して今頃知った。
つづく
9月16日に捕らえてから今日で22日目となった。
弁当に付いているソース入れの口を斜めに切り、水と蜂蜜を飲めるようにした。
斜めに切るという工夫をしたのは本日つい先ほど。
今までは、吸い口まで水も蜜も下がらなかったから、ときどき下に垂らしたり、蜂の顔に噴射したりして、底が汚くなってしまった。
穴から嗅ぐと猛烈な臭いになっているので、数日おきに今は不用になったプリンターインク注入用注射器を使って吸い取る。
蜂蜜に水を加えて放置すると醗酵してアルコールができるらしいけれど、強烈な臭いは蜂の毒か排泄物かが反応したからではないかと思っているだが、どんなものか。
このペットボトルに入れられたまま、新潟県に連れて行かれたりして、往復1000Kmを移動しているヒメスズメバチ。
先日採取したニホンミツバチの蜜ではなく、我が家に放置状態になっていた何年前に購入したか分からない市販品。
それでここまで生き延びているから、わざわざ新鮮なニホンミツバチの蜂蜜をやることはないとか何とか言いながら、苦労して採ったのだからヒメスズメバチなんぞにやるのがもったいないだけ。
『セミ』を調べてみると、『半分、半ば、やや・・・』とあった。
農作物を業としている生産者なら、とうにツルと一緒に刈り込んで処分するに違いない出来損ないを採った。
台にしているのは名刺入れ。
ステンレスの名刺入れは百均のお徳用・・・そういうことではなく、大きさを示すために手近にあった、約6cm×9cm。
以前にハリネズミにたとえたけれど、こいつらはハリモグラの親子か。
可愛いから食べられない・・とはならず、ふつうにその日の晩のおかずになって消えていきました。
前立腺癌であることは確定したので、どういう治療をするか、経過を見るのか、何もしないのかの選択となる。
セカンド・オピニオンを求める必要もなさそうに思われたので、担当医師の勧めるままに、とりあえず転移がないかの検査となった。
すでにX線CT検査は受けているが、骨シンチグラフィー検査と合わせての判断をして、治療方針を決めるということになっている。
予約していた順番日がようやくきて、骨シンチグラフィーという核医学(RI)検査を受けた。
検査場所が最近移動したとか古い地図だったとかで、広い病院内を迷子になり、なかなかたどり着けなかった。
ここでいいのかと、X線の看板が垂れ下がっている受付に行ったら、『RIには積貞棟から行ってください』てなことで、ついに私は積貞棟に足を踏み入れた。
任天堂元社長の寄付でできたという癌診療治療病棟が積貞棟。
私は癌患者なので、通行手形を持っているような気分。
RIとはなんぞや。
吉本興業のピン芸コンクールではなく、明治乳業の乳酸菌飲料でもなく、R1(アールワン)ではなくRI(アールアイ)はラジオアイソトープを利用した映像技術検査。
微量の放射線とは言え、放射性元素入りの薬剤を静脈から注射され、私は全身被曝するのだ。
先のCT検査だってX線の被爆だったから、この先のことも考えると今年はかなりの放射線を浴びることになる。
つづく
この畝は、かぼちゃ収穫後のマルチを外した状態。
マリーゴールドは自宅で種から育てたものを480km隔てた生家に持ち込んで移植したもの。
コンパニオンプランツとしての役割を果たすには時期がずれた。
友人が菜種を千葉から持参したからと、蒔いたのがいい具合に芽を出した。
いい具合なのかどうかはわからないけれど、蒔いた全数発芽したのではないかと思われるほどびっしり。
これも適度に間引かねばならないのだろうか?
川の土手に咲く菜の花などは、自然のままにいい具合に咲いているのだから、放置したっていいのだろうと思われる。
耕運機を借りて1畝だけかぼちゃを作ってみて、そこそこうまくいったので、見ての通りに余裕の原野を耕して3畝くらい来春はやってみるべきだ。
そのためには来年こそはぜひとも中古の耕運機を買うことにしたい。
たいていの人が『中古で10万円』と言うので、10万円貯めて来春は耕し放題。
ジャガイモの収穫後しばらく放置していた場所を、借りた耕耘機で耕し高めの畝を作り大根の種を蒔いた。
畝を作るときには、ロープを張ってやるのだということも今年教わった一つ。
この畝は、向こうが少し細くなってしまった。
左側の里芋の畝が巻尺の読み違いで斜めになったのを受け、仕方なしの結果だけれど、龍安寺の石庭のような遠近法の錯視で奥行きが長く見える。
ところで、左の里芋は青い茎と紫の茎がある。
紫の茎はズイキとして食べられるのだろうか?
芋の種類によって違うというから、2種類の芋があるのかな?
前の家の我が師が自分の種芋が余るからと、植え付けまでしてくれたもの。
今回、試し掘りあげをしてみたら、子芋は一人前だが、孫芋が小さすぎた。
それでもなかなかとの評判を得た。
来月は、青茎のものと赤茎のものを区別して収穫し、味比べをすべし。
種芋は掘った状態で残すのだそうで、保温箱などを利用して自己責任でやってみることになる。
農業の師が、今年のような天候不順でも状況に応じた適切なアドバイスをくれるし、手伝ってもくれるし、留守中は見守って手も出してくれているので失敗がない。
来年はできるだけ師の手は借りないつもり。
15センチ間隔の目盛りをつけたゲージを作り、ロープに沿わせて種を蒔いたのが画像を撮った5日ほど前だったけれど、その後の長雨で列を乱さず芽を出した。
来月は間引き菜をたくさん食べられる。
というより、食べなければならない。
自分一人だと食事を摂ることさえおっくうになる。
三日後には生家をしばらく留守にするのに、冷蔵庫の中には結構な食料が残っている。
あれとあれを食べようなどと頭では思い巡らすけれど、体が動かない。
ようやく用意したのが上の画像。
もらった奈良漬を一応半月切りにした。
栗をあげたら栗御飯になって返ってきたのを電子レンジで温めもしないでいただく。
ニンジンや枝豆やシイタケも入っていて彩りよく本格的なものをガツガツ食べる・・美味。
目玉焼きの下に敷く薄切りハムが残っているので動物性たんぱく質を添える。
味噌汁は友人が作ってくれた残りを全部さらえたら2杯あった。
具は油揚げと豆腐とさつま芋の手。
夕飯には唯一得意の料理の野菜炒めを作る。
鍋物に入れないで残った白菜その他野菜をまとめてジップロックに友人が入れてくれていたから、冷凍室に残っていた豚肉と混ぜて作った。
色は悪いけれど生涯で最高の出来だったと思われるのは、内容が多種だったからか。
同時に味噌汁を、とにかく冷蔵庫を空にすることを第一に考えて作る。
油揚げが多すぎたし、他も全部多すぎた。
この量なら3倍4倍量の味噌汁にすべきだが仕方ない。
最後の貰い物キュウリと買い置きレタスを洗って生でマヨネーズ。
空のごはん茶碗には、電子レンジで温まったおにぎり状の飯が入る。
毎日3合炊いて残りをラップに包んで冷凍しておいたものが独りになって役に立つ。