鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

日野の里を逍遥 その3

2020年02月14日 00時14分14秒 | 散歩は夢中










方丈石から、けもの道のような細いくにゃくにゃ道を行くと登山道に合流する。
登山道は日野に含まれているので京都市伏見区だけれど、供水(こうすい)峠を超えると宇治市になり炭山へ降りる道になる。
どこまで行けるか、供水峠をとにかく目指す。
何回も登っている道だけれど、これほど荒れているとは思いがけないことだった。
くぐったりまたいだりして通れる程度に木は片ずけてはあるが、大変な数の倒木。
以前はマウンテンバイクで登り下りする好き者がいたけれど、もう無理、途中で退散せざるをえないだろう。
ネジキの花が咲いていたけれど、ちょっと早すぎの早咲き勘違い。
アセビ(馬酔木)にそっくりだが、花がピンクではなく真っ白で、幹がねじれているからすぐわかる。
堅くて強い木質なので、拝借した杖もネジキの幹を切ったもの。
この辺りの山にはいくらでも生えている雑木で、ネジキツヨシと私は密かに呼んでいる(うじきつよしという人のもじり)。
日野YKC(野外活動センターの略か?)が設置したと思われる案内板があり、以前のものから新調したらしくて分かりやすい。
供水峠の少し手前に祠があり石仏群がある。
ここは以前からの古いままに変わっていなかったけれど、古い縁台があり、腰を下せば丸太が折れて斜面をでんぐり返りの真っ逆さまが想像できたので撮るだけ。
一時期のマイブームの裏山ハイキングをしなくなってから縁台が設置されたようで、それがもう朽ちているのは、ひと昔が過ぎたということ。
供水峠まで上がり、右に折れて峰を行けば天下峰があり、山越えの府道242号線に抜けることができる。
帰ろうと思うならそっちだが、まだ余力があったので左に折れて日野岳を目指す。
けもの道としか言いようがない道を、所々にある目印のカラーテープを頼りに登って、頂上のケルンに到着した。
標高373mの頂上は、眺望なんぞ全くない、ただの平べったい林の中。
日野岳の他に日野山というプレートもあったから、時代によって呼び名が変わったのかも。
日野岳に登ったとなれば逍遥とは違うレベルになるが、この標高では日野山を逍遥というくらいのものだ。
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日野の里を逍遥 その2

2020年02月13日 02時57分57秒 | 散歩は夢中










日は改まったけれど、せっかくの題名だから、もう少し遠出の逍遥をしてみようと出かけた。
住宅地を方丈石方面に曲がってすぐの畑に生えている白梅に、穏やかな陽気に浮かれた何匹ものミツバチが飛び回って蜜を吸っていた。
画像の中心付近で花に止まろうとホバリングしているのが紛れもなくニホンミツバチ。
私の飼っているニホンミツバチはいかにおわすか心配でたまらないけれど、十日町市の平均積雪は70センチ余り。
桃も梅も咲いてはいないだろうから、無駄に暖かい日があってもただあてもなく飛び回ったりもしているのではないかと心配になる。
さて久しぶりに方丈石に来てみたら途中の景色が一昨年の台風か、その前の大雨かで道も景色も荒れていた。
有るか無しかの川もある谷の奥だからゆるい勾配を少し山に入るだけだけれど、入り口に用意してある杖からちょうど良さそうなのを選んで拝借した。
山に入るときは、武器にもなる杖がないと安心できない。
方丈石は週一回ほどの見守りはなされているようで、庵が建てられていたと思われる巨石の上には真新しい縁台も設えてあった。
町内会が管理をしているのなら大変でご苦労なことだけれど、ちゃんとした保存会があるのかも知れない。
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日野の里を逍遥

2020年02月12日 00時02分10秒 | 散歩は夢中








先日は通りすがりに誕生院の紅梅が目にとまり、裏口から庭に入って花を撮った。
その時には全く気づかなかったけれど、一昨年の台風で屋根が壊されたらしくてシートで覆われていた部分があった。
由緒ある寺でも修理費用を捻出できないのか、それとも宮大工の手が回らないのか。
ちょっと見、気づかないよう目立たなくしているグレー・シートがなかなかに渋い。
山茶花はどぎつい赤が多くて食傷気味のところを、大振りでピンクの妖しい花をつける木があった。
誕生院からは離れて、恵福寺の脇にある駐車場の道路際。
花びらが1枚1枚離れて落ちているから間違いなく山茶花で、散り方も儚げ。
その近くには芝桜が狂い咲きしていた。
ちょっと検索してみて、秋に咲いてしまうなら狂い咲きだけれど、今時分だから早咲きというべきか。
ちなみに、説明看板を読むと恵福寺は随分と古い寺なのに対し、誕生院はどうかと検索してみたら、西本願寺の飛地別院として江戸末期に建てられたようで比較的新しくて何だか残念。
と、このようにすぐ足を止めてしまうから有酸素運動は細切れになり、シェイプアップはなかなか実を結ばない。
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黄檗あたりを徘徊 その2

2020年02月11日 01時19分01秒 | 散歩は夢中






萬福寺近くの塔頭と思われる寺院内に咲く紅梅を塀越しに撮った。
行き帰りの道中に白と黒2枚のマスクが落ちていた。
黒いマスクには首を傾げてしまうけれど、ファッションとして似合う人は当然いるだろうし、勝負マスクなんてのもありなのか。
帰りの黄檗トンネル壁面には、山水画のような白華現象(エフロレッセンス)が見られた。
千住きょうだいの画家の絵にこういうのがあったことを思い出す。
トリミングしていいとこ取りしたら、掛け軸にしても悪くないくらいだと、らちもないことを考えつつ徘徊を続ける。
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黄檗あたりを徘徊

2020年02月10日 00時40分40秒 | 散歩は夢中






冬らしくなって寒いけれど、備蓄体内脂肪を燃やすために徘徊をする。
毎月8日は黄檗宗萬福寺が無料開放されて市がたつ日なので行ってみたけれど閑散としている。
道路ぎわの小ぶりの門を入ると右に池があり、右前方に大きな山門がある。
覗いてみると拝観料も徴収しているようだし市もないのはどうしたことか。
(帰ってから調べたら2月と8月は『ほてい祭り』をやらない月なんだとか)
山門横の碑を見て、田上菊舎という俳人のことを初めて知った。
萬福寺は他の寺と違い、いかにもCHINA風で異国色の濃い寺院。
禅宗としての渡来が他より遅かったからか国宝の像とか建物はない。
菊舎の句は、異国情緒にひたった後で山門を出たら茶摘み歌が聞こえてきて日本だったかここは、と気づいて一句という風情。
今は住宅地で家ばかりだけれど、昔は茶畑が広がっていたものとみえる。
寺の背後にある墓地は、以前巡ったことがあるけれど、華僑の独特のお墓がたくさんある。
普段なら中国からの観光客もいるはずだけれど、新型コロナウィルス騒ぎでサッパリなのか。
私は徘徊できる程度に躰が元気なので、マスクも付けず、なにも心配していない。
ウチの石油ストーブはコロナのストーブだ、何の関係もないけれど。
この会社の人は『アチャー』だろうなと何だか気の毒。
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カラスの空巣

2020年02月09日 00時55分44秒 | 身の回りの生き物のこと


からになった巣を『からす』というのではないかと思いついた。
漢字で書くなら『空巣』となるはずだけれど、字を見ると『あきす』としか読めなさそう。
『カラスのカラス』というダジャレは使うこともできずに一人遊びのまま不発。
カラスは前の巣を使うことはない。
このことは三箇所の巣の観察でなんとなく解っていた。
果たしてどうかと検索してみると、やはりそのようで巣は使い捨て。
すっかり葉が落ちて丸見えになっている、このカラスの巣もしっかりした造りに見えても、今春の産卵抱卵子育てに利用されることはない。
毎年新たな巣造りをするのは何故だろう。
それよりカラスの子育ては年に1回かな。
集団のねぐらからペアは子育て期間中だけ抜けるのかな。
巣立ち親離れが終わればペアは解消リセットかな。
そうして繁殖期になると、ねぐらの集団から毎年新たなペアが組まれるのかな。
それなら、心機一転、新カップルは古い巣なんぞ使わないはずか。
巣の場所を決める主導権はオスメスどちらにあるのかな。
そんな疑問がいろいろと湧く。
物干しの針金ハンガーを巣材に使うカラスがいて困ったものだという記事を読んだことがある。
洗濯物を盗んで巣に使っていたというのもあって、下着泥棒はカラスだったとかなんとか・・。
カラスは巣造りに空巣を働くというお粗末。
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喜美子と八郎

2020年02月08日 00時10分44秒 | テレビ・ネット・映画
NHK朝ドラ[スカーレット]の喜美子と八郎は、いつか息子のためにも和解して元に戻るのだろうと思っていた。
そうしたら陶芸家として大成功してしまった喜美子の方から離婚届を八郎に送って別れたという結果。
実際のモデルがいてのドラマだということだし、以前に田中裕子がそのヒロインを演じた映画をテレビで観たこともある。
でもヒロインが白い喪服を着たまま穴窯に薪を放り込み続けるシーンしか覚えていない。
喪主だったはずだけれど、窯を焚き始めたら止められないという取り憑かれた感じが印象的だった。
[スカーレット]の喜美子の思いつめた無表情もそういうことなのだろうし、陶芸家になるんだという我の強さに、観ている方も引いてしまう。
[喜美子と八郎]の関係は、芸人の[友近となだぎ武]の関係のようなものだと思った。
私は友近も好きではあるけれど、なだぎ武の計算され尽くした芸風にはリスペクトを感じる。
モデルとなった方々の実際はどうであったかは調べたりせず、[スカーレット]がどう展開するのか、気分は引き気味だけれど、ここまできたら終わるまで観続けるしかない。
朝ドラ観ないと一日の決まりがつかないから。
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茶畑と白梅

2020年02月07日 00時04分33秒 | 散歩は夢中






私の散歩コースの御蔵山は戦前まで、おそらく麓に古い家が点在するだけの全くの山だったのだろうと思われる。
茶畑と竹藪ばかりだった山が、電鉄会社に買収されて宅地造成され、今は茶畑も竹藪もわずかしか残っていない丘になっている。
きれいに刈り上げられた茶畑を、前後左右の家が写らないようにして撮ってみた。
濃い緑は寒冷紗の陰で、畑の上に張られた針金は寒冷紗のカーテンを広げるレール。
たぶん霜除けと強い日光を遮るためのもの。
梅の木は別の場所の荒れた畑にあり、坂道脇だったので他人の土地へ無断侵入もせずに撮れた。
白梅の花なんぞは接写でもしなければ見栄えがしない(盆栽は別)。
ほんの部分だけを撮って、どこもかしこも美しい、あるいは酷いというように見せるのが腕というものか。
脱プラスチックの象徴的画像のウミガメの鼻にストローも、アザラシの口にプラスチックリングもそのようなものだと思われる。
ペットボトルその他のプラごみが漂っている淀みは確かにいくらでもあるだろうけれど、あの画像でどこもかしこも水面という水面がプラごみだらけのような印象操作は、何だかなーと思う今日この頃だ。
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マスクは何処へ

2020年02月06日 00時54分44秒 | 懐疑・猜疑・疑義






マスクが品薄どころか品切れになっているらしい。
オイル・ショック時のトイレットペーパーのように、買い占めている人もいるようで、近頃のことだからネット・ショップでは何倍や十倍以上で売れたりしているとか。
そんな時節柄だから出歩かなければ良いものを、じっとしていられない体質なので、だいたいのコースを決めて歩き出した。
出会う人の半分以上はマスクをしている。
行先の目標がないので気の向くままコースは変わり、本日7.7km、11700歩の間に落ちていたマスクは2枚。
マスクは耳にかけた部分のひもを持って外し、捨てるべしと説明する医師の説明をテレビで観た。
使い捨てマスクは各家庭でそれなりの扱いをされてゴミに出され、回収されてゴミ処理場か焼却場へといくのだろうけれど、ゴミ収集車の投入口に放り投げられて、圧縮されるときに袋が破れたりはよくあること。
収集車が集積所で排出する時も同じだろうし、いろんなとこで消毒液を吹きかける仕掛けができているのかな?
それにしても、道路っぱたに落ちているマスクは誰がどのように処分するのだろう。
こころある人が、アルコール除菌スプレーをひと吹きかけなどして処分してくれることになるのか?
道に落ちていること自体が不思議なことだけれど、かけていたのではなくてポケットから何かの拍子に落ちてしまったのかな。
私はマスクをしないし、うちに買い置きがあるかどうかもわからないし、もしものために買おうという発想もない。
使い捨てマスクもスプレー消毒して乾かしたら何度でも使えるのではないのか?
塩化カルシウムが坂道に置いてあったが、この冬は無用放置のまま春になるのかも。
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たまには読書をする

2020年02月05日 01時07分30秒 | 勝手に応援


『戦争 プロパガンダ 10の法則』は、国民、市民、個人個人がしっかりと頭に入れておくべき内容。
国を動かす指導層はこの法則に基づいて、自国に都合の悪いことは伏せ、巧妙な嘘を利用し、仕方なしのふりをして戦争を始めるのだということが解る。
不利なことはひたすら隠し、嘘をつき通し、ダンマリを決め込むのは、日本政府も滋賀県の冤罪事件に関わる警察と検察も同じこと。
『子供のための哲学対話』は、対象が中学卒業以上くらいからではないかと思う。
{なぜ人を殺してはいけないか}という命題も出てくる。
スラスラ読めるけれど、数学的な答えはないわけで、達成感のようなものは得られない。
図書館の本だけれど、たまに読み返してみたい本という読後感。

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白華と梅花

2020年02月04日 02時42分24秒 | 散歩は夢中








散歩途中で白華(エフロレッセンス)が目に入ると、建築(土木)業者がクレームをつけられているのではないかと、他人事ながら心配になる。
コンクリート(モルタル)から染み出して固まった炭酸カルシウムなんである。
鍾乳洞の鍾乳石や石筍と成分はまったく同じもの。
世間は二月であり節分もあり紅梅も咲いていてすっかり春。
よそ様のSNSには上手にポーズしたメジロが写っていて、花々も真っ盛り。
わざわざ梅の花を観に行こうとまで思わないが、散歩のついでに誕生院に咲いていたので撮った。
親鸞聖人童形像の下部にもエフロがある。
親鸞の鸞はうぐいすかと思ったら、鸞というのは伝説の鳥だそうだ。
童形とあるけれど童形とは思いにくい堂々たる姿。
今時の小顔でスタイルのよい子供とは真逆の、ぎっしり詰まっていそうな頭だ。
私の生まれ故郷では、花札の二月の梅にうぐいすが、子ども心にあり得ないと思っていた。
今時分なら冬真っ盛りの雪に閉ざされた世界だったのに、今年は雪が降らなくて気味が悪いと聞いた。
十日町市のHPを見ると、2月3日午前9時平均積雪深は11.4センチでしかないから梅だって咲いているかも。

追記;積雪深を0.3センチ写し間違えたので訂正。2/4は24.2センチなので、1日で12.8センチ積もったことになる。京都宇治なら大騒ぎの大雪。
間違いが多くなって、度々記事訂正。気にされることもないだろうけれど・・。
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扁平食

2020年02月03日 00時02分22秒 | グルメ


躰が硬くなってきて自分にがっかりすることがあるので、ときどき柔軟体操をやる。
床に尻を下ろして両足裏外側を合わせ、かかとを股間に引き寄せ、両膝外側を床につけ、どこまで前かがみにできるかグイグイ頭を下げる。
若いときは頭が床についたはずなのに今はつかない。
頭をつけられるようになるのが当面の目標。
そんなことをしつつ、じっと扁平足を見る。
昔、「お前もか」「俺も」「三人共かぁ」と笑いあったことがあった。
そうして、つい先日、私の出生に関わる記念日に食べたピザも思いだす。
昨年も同じように半額クーポン券で別の店のピザを食べたことがブログで判る。
すっかり忘れていても、1年前の今日出した記事がこれこれとメールがくるから、『あーそういえば・・』と毎日思っている次第。
それにつけても、記念日にピザなんぞ食べてケーキを食べないなんて、と思い、扁平食という言葉が浮かんだという経緯。
昨年は半額クーポン券を持って、わざわざ買いに行ったのだけれど、今年のは1000円以上ならデリバリーでもちろん半額。
そこで画像の右側、5種類のベリーが載っているカスタードプリン『アマリアベリーカタラーナ』540円(半額)も奮発して付けた。
たまのぜいたくに、ピザパイという扁平食。
ロウソクは立たない。

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ガサツな言い方

2020年02月02日 00時00分30秒 | 言葉の世界
『・・・・に行きますので・・』と言うところを、『・・・・に行きますんで・・』と言う人が多くなってきた。
ここ10年か20年ほど前からだと思われるのだが、丁寧に言っているようでいて少しも丁寧に聞こえない。
『何々なので・・』を『何々なんで・・』と言うし、『何々するので・・』を『何々するんで・・』と気軽に言う。
関西弁でなら、『行くさかい』『行くよって』『行くさけぇ』と言うところを、『行くんで』で済ます。
朝ドラ【スカーレット】では、信楽方面方言(?)で『行くさけぇ』と言うだろうところを、『行くんで』と主人公は言う。
確かにそう言ったかどうかの証拠を示せないけれど、とにかく喜美子の『・・・んで・・』が気になって仕方ない。
もうしばらくしたら、一般的になるのかもしれないけれど、誰が流行らせたのか、とにかく【スカーレット】の時代には、『・・・んで・・』は使わなかっただろうと思う。
先日のブログで違和感と書いたのは、このガサツさも感じてのこと。
嫌味なジジイになったもん(の)だと自分でも思いますンデ、そこんとこよろしく。
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記憶創出

2020年02月01日 03時24分14秒 | 懐疑・猜疑・疑義
1/27 TBS【私はドコの誰なのか? 記憶喪失の男女3名を緊急!公開大捜索20春】という番組を観ていて、最後に登場した28歳の男性が一番興味深かった。
彼の記憶と実際(?)とはまるで違っていた。
記憶の中にあるのは、学校も行かせてくれなかったという非道な叔母と、その叔母がいなくなってから独りで生きてきた経過。
そして、テレビを観たと電話してきた、彼の従兄弟と母親が語る彼の過去は全く違うものだった。
電話の身内の話は、疑いようもない真実に思われる。
番組の中でも、初めの紹介で「この方は他の二人とは違い記憶はありますが自分がどこの誰なのか知っている方をお探しです」というようなことだった。
解離性健忘という診断を受けてはいるらしいけれど、記憶喪失というより記憶創出という状態に思われた。
記憶創出という病の状況なり状態があるのかどうかは知らないので、検索したけれど無いようだった。
幼い子が『ごっこ遊び』をしているときに本当に成り切るような状態が定着してしまったのか。
妄想とかせん妄というような状態を通り越し、鮮明な記憶として虚の過去がかたち創られることがあるのか。
犯罪者の中には自分の犯した行為を完全に否定して、自分でもそれが真実だと思い込む人間もいるそうだから、その類いなのか。
それとも負の経験や動機というよりは、深い同情や共感によって、記憶が書き換えられるというようなことが起きるのか。
あるスイッチによって、別人格に成り切ってしまうのだとしたら、全く同じ過去の記憶を持つ二人の人間が存在することになる。
彼は精神科医や臨床心理学者のクライアントとして、催眠療法を受けることになるのだろうけれど、テレビはその後の彼を取り上げるだろうか。
是非とも知りたい。
プライバシーの問題があるので、気を使いながら、後でヤラセ疑惑もありながら、微妙に成立していた番組だった。
私の造語かもしれない『記憶創出』という言葉にときどきとらわれる。
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