越中と越後の国境は親不知子知らずと言われたほどの超えるに大変な難所でありました。
波にさらわれそうになりながら我が身だけを守って岩場を乗り越えて行くのです。
てなことが昔話の始まりに語られる場所は北陸道が開通するまで、8号線のこの辺りはトンネルばかりだった。
山の迫っているこの場所はトンネルを掘るより海上に橋脚を作った方が安上がりだったのだろう。
明るい時に県境を越えるときは、新潟県側は海沿いの8号線を走るのが節約にもなって気持ち良い。
親不知I.C.からハイウェイに上がる前に停めて撮ってみた。
長野県を通る時には姨捨S.A.をよく利用し、富山県を通るときは親不知I.C.を利用する親不孝者。
山桜が咲いていたり、若葉が萌え始めていたりする山肌はマリー・ローランサンのタッチのようだ。