昨日、「辰濃和男の天声人語【人物編】」(朝日文庫)に触れました。
そういえば、辰濃和男氏は1930年生まれ。加藤秀俊氏と同じ年生まれでした。
ということで、以前の書き込みを以下に引用。ちなみに、2003年4月16日に、khipuに書き込んでおいたものです
新聞の署名記事。文化欄などで気になる記者の名前があります。たとえば、読売新聞では鵜飼哲夫さん。ちょいとかわった名前なので、すこし慣れてくると鵜飼さんは、どう云っているのかと、そんな興味で記事を覗くことがあります。
さて、加藤秀俊さんの写真入り記事が続いて掲載されました。ひとつは4月2日読売朝刊「こころの四季」で秀俊さんの紹介記事。もうひとつは4月8日読売夕刊の「デジタリアン」という欄です。夕刊の方は早乙女泰子さんの署名記事でした。まずは夕刊から。最初に「著作目録をネットに公開した社会学者 加藤秀俊さん(72)」ご自身のカラー写真の下には「パソコン歴17年。デスクトップとノート、デジカメを仕事で使用する。・・データベースサイトは
http://homepage3.nifty.com/katodb/ 」とあります。
「半世紀の間に著したほとんどすべてのものの目録約5500件を電子データベース化し、二月にインターネットで公開した。全体のうち500件は全文を掲載。講演記録と画像265点も含み、公開された個人の著作データベースでは国内最大級・・」。
ではもどって「こころの四季」から。
「(大学の)新聞部仲間で、朝日新聞の『天声人語』を書くことになる辰濃和男君が新聞社に行くと言うんで、大学院に進んだのが転機といえば転機。一年目に京大に拾ってもらいました。・・アカデミズムとジャーナリズムの【間】を歩いてきました。・・やさしく書く方がはるかに難しいですよ。新渡戸稲造が自分の書いたものを若いお手伝いさんに読んでもらい、『わからない』と言われると書き直したという話を若いころに読み、大変感動した。わかるように書かなければコミュニケーションにならないでしょう。」
聞き書きのような文のあとに別枠で、鵜飼哲夫記者の言葉がありました。
「学生時代に加藤秀俊著『独学のすすめ』を耽読した。いわく、大切なのは学ぶ意欲を持って自分の力で考え、創造すること、学校というのは『独学』では勉強できない人たちを収容する場所とあった。『なるほど』とひざを打ち、高卒後、働きながら独学を始めてしまったほどだ。結局は【収容所】に入ったが、本の精神を常々思い返す。・・」
「独学のすすめ」の「学校の意味 ―― あとがきにかえて」で、こう書かれています「この本に収録したエッセイの大部分は、雑誌『ミセス』に『教育考』という通しタイトルで1974年に連載したもので、多少、母親むけ、という表現が多いかもしれないが、お互いの人生のなかで『教育』というものがどんなものでありうるか、をかんがえる手がかりを読みとっていただければさいわいである。」
さまざまな魅力あるエッセイ題名が並んでいる本です。ここでは「情報時代の自己教育」の最後の言葉を引用して終ります。
「情報選択についてしっかりした意見をもっている人間たちこそがよき友人なのである。・・立派な批評家は、友人たちのあいだにもいるはずである。それらの友人たちと、さまざまな情報について、合評会をするのもいいだろうし、書物を主題にして、読書会をやってみるのもよいだろう。そして、そういう経験をつかみかさねることによって、だんだん、人間は、情報についての批評的なものの見方を身につけてゆくことができる。批評的な見方ができるということは、批評ができる、ということだ。その批評能力こそ、情報選択の能力の基本なのである。」
以上が以前の引用。
ところで、加藤秀俊著「独学のすすめ」は文春文庫で絶版になっておりましたが、
2009年11月にめでたくも、ちくま文庫に入りました。どなたでも簡単に読める楽しみ。
さてっと、辰濃和男氏がコラム「天声人語」を終えてから、ふっと読みたいと思える本を書かなくなってしまった。あれはなんだろうと、思うのです。加藤秀俊氏の言葉「情報選択についてしっかりした意見をもっている人間たちこそがよき友人なのである。・・立派な批評家は、友人たちのあいだにもいるはずである。」という新聞社でのお仲間から切れてしまったところに問題があったのではないか、コラムの切れ目が、文章の切れ目となってしまったのでしょうか。そんなことを思うのですが、最近は何か辰濃氏は文章を書かれておられるのでしょうか。
そういえば、辰濃和男氏は1930年生まれ。加藤秀俊氏と同じ年生まれでした。
ということで、以前の書き込みを以下に引用。ちなみに、2003年4月16日に、khipuに書き込んでおいたものです
新聞の署名記事。文化欄などで気になる記者の名前があります。たとえば、読売新聞では鵜飼哲夫さん。ちょいとかわった名前なので、すこし慣れてくると鵜飼さんは、どう云っているのかと、そんな興味で記事を覗くことがあります。
さて、加藤秀俊さんの写真入り記事が続いて掲載されました。ひとつは4月2日読売朝刊「こころの四季」で秀俊さんの紹介記事。もうひとつは4月8日読売夕刊の「デジタリアン」という欄です。夕刊の方は早乙女泰子さんの署名記事でした。まずは夕刊から。最初に「著作目録をネットに公開した社会学者 加藤秀俊さん(72)」ご自身のカラー写真の下には「パソコン歴17年。デスクトップとノート、デジカメを仕事で使用する。・・データベースサイトは
http://homepage3.nifty.com/katodb/ 」とあります。
「半世紀の間に著したほとんどすべてのものの目録約5500件を電子データベース化し、二月にインターネットで公開した。全体のうち500件は全文を掲載。講演記録と画像265点も含み、公開された個人の著作データベースでは国内最大級・・」。
ではもどって「こころの四季」から。
「(大学の)新聞部仲間で、朝日新聞の『天声人語』を書くことになる辰濃和男君が新聞社に行くと言うんで、大学院に進んだのが転機といえば転機。一年目に京大に拾ってもらいました。・・アカデミズムとジャーナリズムの【間】を歩いてきました。・・やさしく書く方がはるかに難しいですよ。新渡戸稲造が自分の書いたものを若いお手伝いさんに読んでもらい、『わからない』と言われると書き直したという話を若いころに読み、大変感動した。わかるように書かなければコミュニケーションにならないでしょう。」
聞き書きのような文のあとに別枠で、鵜飼哲夫記者の言葉がありました。
「学生時代に加藤秀俊著『独学のすすめ』を耽読した。いわく、大切なのは学ぶ意欲を持って自分の力で考え、創造すること、学校というのは『独学』では勉強できない人たちを収容する場所とあった。『なるほど』とひざを打ち、高卒後、働きながら独学を始めてしまったほどだ。結局は【収容所】に入ったが、本の精神を常々思い返す。・・」
「独学のすすめ」の「学校の意味 ―― あとがきにかえて」で、こう書かれています「この本に収録したエッセイの大部分は、雑誌『ミセス』に『教育考』という通しタイトルで1974年に連載したもので、多少、母親むけ、という表現が多いかもしれないが、お互いの人生のなかで『教育』というものがどんなものでありうるか、をかんがえる手がかりを読みとっていただければさいわいである。」
さまざまな魅力あるエッセイ題名が並んでいる本です。ここでは「情報時代の自己教育」の最後の言葉を引用して終ります。
「情報選択についてしっかりした意見をもっている人間たちこそがよき友人なのである。・・立派な批評家は、友人たちのあいだにもいるはずである。それらの友人たちと、さまざまな情報について、合評会をするのもいいだろうし、書物を主題にして、読書会をやってみるのもよいだろう。そして、そういう経験をつかみかさねることによって、だんだん、人間は、情報についての批評的なものの見方を身につけてゆくことができる。批評的な見方ができるということは、批評ができる、ということだ。その批評能力こそ、情報選択の能力の基本なのである。」
以上が以前の引用。
ところで、加藤秀俊著「独学のすすめ」は文春文庫で絶版になっておりましたが、
2009年11月にめでたくも、ちくま文庫に入りました。どなたでも簡単に読める楽しみ。
さてっと、辰濃和男氏がコラム「天声人語」を終えてから、ふっと読みたいと思える本を書かなくなってしまった。あれはなんだろうと、思うのです。加藤秀俊氏の言葉「情報選択についてしっかりした意見をもっている人間たちこそがよき友人なのである。・・立派な批評家は、友人たちのあいだにもいるはずである。」という新聞社でのお仲間から切れてしまったところに問題があったのではないか、コラムの切れ目が、文章の切れ目となってしまったのでしょうか。そんなことを思うのですが、最近は何か辰濃氏は文章を書かれておられるのでしょうか。