和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

アドレス。

2010-02-16 | 他生の縁
木下是雄著「日本語の思考法」(中公文庫)は
木下是雄集3「日本人の言語環境を考える」(晶文社)の文庫化。
単行本の時に、愛着があった本でした。

そのはじまりの方に、こうあるのです。

「1976年に、2年間アメリカで月の化学の研究をしていた同僚が帰国して、お子さんたちがヒューストンの小学校で使っていた国語の教科書を見せてくれた。硬い表紙で分厚い21センチ×24センチ判の、きれいな色刷りの本だ。
5年生用のを手にした私は、たまたま開いたページに
  
  ジョージ・ワシントンは米国の最も偉大な大統領であった。
  ジョージ・ワシントンは米国の初代の大統領であった。

という二つの文がならび、その下に

 どちらの文が事実の記述か。
 もう一つの文に述べてあるのはどんな意見か。
 事実と意見とはどう違うか。

と尋ねてあるのを見て衝撃を受けた。そこは『事実と意見』という単元で、そのページのわきには、

 事実とは証拠をあげて裏づけすることのできるものである。
 意見というのは何事かについてある人が下す判断である。
 ほかの人はその判断に同意するかもしれないし、
 同意しないかもしれない。

という二つの註が、それぞれ枠囲みに入れて印刷してあった。
『私が衝撃を受けた』のは、一つには、日本人の論文では事実と意見の混同が跡を絶たないのに他の国ではまずその例を見ないという差は、おそらくこどもの時からの教育がちがうせい――と悟ったためである。
もう一つの衝撃は、上記の註が『ほかの人はその判断に同意するかもしれないし、同意しないかもしれない』と言い切っていることによる。これは、こどもに向かって『ワシントンがえらい大統領だったかどうかはお前が判断することだよ』と宣告しているにほかならないではないか!
どちらも、当時教育の現場にあった私に再思三考をせまる問題であった。」


さて、木下是雄著「日本語の思考法」の文庫は2009年4月初版。
鴨下信一著「日本語の学校」(平凡社新書)は2009年5月初版。

鴨下氏のその新書の序章は「朗読とは何か」からはじまっておりました。
それを引用。

「朗読・音読とは何か、と聞かれたら『文を句(区)切って読むことだ』と答えます。

   日本語は世界一美しい言葉です

あなたはこれをどう区切りますか?
ひと息で読めます――いきなり困った答えですが、まあ結構。
その読み方を①とします。
でもそのほかに、少なくとも二通りに句切れます。

  ②日本語は/世界一美しい言葉です
  ③日本語は/世界一/美しい言葉です

②では『日本語』という言葉に聞く人の注意がいきます。
ああ、日本語について話すんだな、ということがはっきりする。
文の『構成』、つまり『意味』がはっきりする。
③では『世界一』に注意がいくでしょう。
こうすると何か『気分』『感情』が入ってくるような気がしませんか。
感情が生れるということは、そこに『表現』が存在するということです。
この句切り方は『表現』のために句切るのです。
大事なことを、二つ。一つは『句読点』のことです。『、』が読点、『。』が句点です。・・・・」



文庫と新書と。二つの本。
う~ん。本の始まりの事を思ったのでした。

そういえば、
外山滋比古著「日本語の作法」(日経BP)に
こんな箇所があったなあ。

「大きな国際会議などでは、はじめのあいさつ、オープニング・アドレスが注目される。会が成功するかどうかも、このあいさつにかかっていると言う人さえある。・・」(p98)
コメント
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