ちょっとパラパラ見て気になる箇所。
福原麟太郎著「夏目漱石」(荒竹出版)というのがありました。
そこに「漱石についての私見」という5ページほどの文。
はじまりは、
「漱石に関して、私は『坊っちゃん』と『三四郎』とを繰返して読む」でした。
辰野隆著「忘れ得ぬ人々(講談社文芸文庫)には気になる箇所がありました。
小宮豊隆氏が「藪柑子集の後に」と題する跋を書いている。として引用してあります。
その引用箇所
「・・・春秋の筆法を用ふれば、集中に収められた『団栗』や『竜舌蘭』は、三重吉の『千鳥』の父であり、漱石先生の『草枕』の祖父である。此意味に於いて、明治の文学史を編まうとする者は、明治の一つの流れの上に於ける『藪柑子集』の位置を決して見遁がす事を許されない・・・・」(p121)
また、こんな箇所。
「数年前、森田草平氏が『六文人の横顔』という随筆を文藝春秋に寄稿した事があった。その中に次のような一節があった。
『・・・漱石先生の所謂門下生の中で、先生自ら生前ひそかに畏敬してゐられたのは、恐らく寺田(吉村冬彦)さん位なものであつたらう。或は寺田さん一人だつたと云ひ切つた方がいいかも知れない。この人には何処か――勿論全体としてではないが――その人柄に漱石以上と思はれるものがある。』(p128)
うん。こんな意見があったのですね。
知らなかった、勉強になります。
福原麟太郎著「夏目漱石」(荒竹出版)というのがありました。
そこに「漱石についての私見」という5ページほどの文。
はじまりは、
「漱石に関して、私は『坊っちゃん』と『三四郎』とを繰返して読む」でした。
辰野隆著「忘れ得ぬ人々(講談社文芸文庫)には気になる箇所がありました。
小宮豊隆氏が「藪柑子集の後に」と題する跋を書いている。として引用してあります。
その引用箇所
「・・・春秋の筆法を用ふれば、集中に収められた『団栗』や『竜舌蘭』は、三重吉の『千鳥』の父であり、漱石先生の『草枕』の祖父である。此意味に於いて、明治の文学史を編まうとする者は、明治の一つの流れの上に於ける『藪柑子集』の位置を決して見遁がす事を許されない・・・・」(p121)
また、こんな箇所。
「数年前、森田草平氏が『六文人の横顔』という随筆を文藝春秋に寄稿した事があった。その中に次のような一節があった。
『・・・漱石先生の所謂門下生の中で、先生自ら生前ひそかに畏敬してゐられたのは、恐らく寺田(吉村冬彦)さん位なものであつたらう。或は寺田さん一人だつたと云ひ切つた方がいいかも知れない。この人には何処か――勿論全体としてではないが――その人柄に漱石以上と思はれるものがある。』(p128)
うん。こんな意見があったのですね。
知らなかった、勉強になります。