中西輝政著「国民の覚悟」(到知出版社)を読みました。
講演を聞くような、そんな読みやすさ。
読みながら、思い浮かんだ本はというと、
ドナルド・キーン著「日本人の戦争」(文芸春秋)でした。
たとえば、
「昭和20年2月27日、東京を訪れた高見(順)は、その破壊の規模に愕然とした。神田橋周辺の一帯は焼失し、ところどころまだ煙が上っている。前に来た時には焼け残っていた小川町の左側は、今や真っ黒な焼け跡だった。右側は、見渡す限りの焼け野原である。高見は、東京が焼け野原になったという噂さえ聞かなかった。かりに知っていても、みだりに口にしてはいけないと控えているのだろうか。日記は続く。
家に帰ると新聞が来ている。
東京の悲劇に関して沈黙を守っている新聞に対して、
いいようのない憤りを覚えた。何のための新聞か。・・ 」(p79)
そして戦後すぐの、8月21日読売報知新聞について
「科学と芸術の振興を唱えているトップ記事を読んだ高見は、『虐待されて来た文学も今度は自由が得られるだろう』と書いている。その記事に明るさがあることは認めても、新聞の節操のなさに、高見の心は晴れない。同日の日記の後半で、高見は読売報知の記事に対する自分の反応をさらに詳細に記している。
・・・・よくも、いけしゃあしゃあとこんなことがいえたものだ、そういう憤怒である。論旨を間違っていると思うのではない。全く正しい。その通りだ。だが如何にも正しいことを、悲しみもなく反省もなく、無表情に無節操にいってのけているということに無性に腹が立つのである。常に、その時期には正しいことを、へらへらといってのける。その機械性、無人格性がたまらない。ほんの一月前は、戦争のための芸術だ科学だ、戦争一本槍だと怒号していた同じ新聞が、口を拭ってケロリとして、芸術こそ科学こそ大切だなどとぬかす、その恥知らずの『指導』面がムカムカする。莫迦にするなといいたいのである。戦争に敗けたから大切な芸術だったら、そんな芸術などやりたくない。戦争に敗けたから今度は芸術を『庇護』するというのか。さような『庇護』はまっぴら御免だ。よけいな干渉をして貰いたくない。さんざ干渉圧迫をして来たくせに、なんということだ。・・・・またもや厚顔無恥な指導面だ。いい加減にしろ! 」(p152~153)
ちなみに、菅直人は戦後の次の年・昭和21年生まれです。
ところで、中西輝政著「国民の覚悟」に、尖閣問題にふれた箇所がありました。
ちょっと、そこを引用。
「しかも、この民主党政権を選んだのは、結局われわれ国民です。また、今まで『日中友好万々歳!』のようなことを書いていた新聞が、この事件の直後だけ、『中国は横暴だ』『強行なやり方で、これは不当だ』と書き出しました。『チャイナ・ビジネスはリスクがあります』と、今さらいったりする。しかし、『今頃そういわれても・・・』という企業は多いのではないでしょうか。日本のマスコミの体質は、あまりに無責任なのです。
いずれにしても、マスコミも国民も現在の日本人は目先のことしか考えていません。そのときそのときに反応しているだけです。ですから、悪いのは政府だけではない、といえるでしょう。われわれ国民の側も、十分反省して『この国のあり方をもう一回立て直す』という、そういうつもりでこの経験を貴重な糧(かて)にしなければいけません。」(p62)
と第二章で語られております。
この本は第五章まであり、
その第五章も引用しておきます。
「危機に直面したときに本当に国民の雰囲気からにじみ出てくる気概のようなもの、明治人が持っていた気迫というものを、今回の東日本大震災でもし日本人が意識したら、それは大きな収穫であり、そのことが次の出発点となると思います。国を引っ張るリーダーというもは、そういう国民の気風、気概が転換してからしか出てこないのです。」(p245)
もう一箇所引用。
「・・敗戦以来、自分でも恥ずかしくなるはずの醜い心にすっかり悪ずれをした日本人が、この列島を占めていたのです。そういう邪気におかされ、正気を忘れ、繁栄の波間に漂って、実は自分を見失っていた日本と日本人が、今回の大震災で、新しい出発点になる何かを見つけてくれることがあれば、と切に思っています。」(p250)