和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

消防団員が。

2011-10-20 | 短文紹介
読売新聞10月17日(月曜日)の一面に
「津波出動の消防団員 水門操作72人死亡・不明」という見出し。

 統計も掲載
「東日本大震災での消防団員の死者・行方不明者数」
 (カッコ内は水門操作に携わった人数)

 岩手県 119(59)人
 宮城県 107(13)人
 福島県  27( 0)人
3県合計 253(72)人

記事には、こんな箇所も
「各自治体や総務省消防庁によると、死亡・不明者は閉門中に津波にのまれたケースもあるが、閉門後に住民の避難誘導にあたるか、自身の移動中などに被災した例が多いという。」


私は消防団にいましたので、こういう記事は気になるのでした。
ちなみに、文芸春秋2011年9月号の葉上太郎氏による「津波に耐えた『死者ゼロの街』」(p200~206)。
そこに、岩手県洋野町のことが紹介されております。
「・・・・消防団の体質も変えた。『地震があったら、まず消防団から逃げよう、血相を変えて逃げよう、ということにしたのです』 最初は『消防団が先に逃げるなんて』と反発もあったが、庭野分署長の発想は逆だった。『今回の津波では、防潮堤の門を閉めた後、堤の上で煙草をふかしながら津波が来るのを待っていた消防団があったと報じられています。そのような姿を見た住民が逃げるでしょうか。門を閉めたら消防団が泡を食って逃げて行く。それを目の当たりにした住民が『やばい』と感じるのです。洋野町の消防団は、ポンプなどの取り扱いを競う操法大会で全国一になったこともある町の誇りです。その団員が血相を変えて逃げるからこそ効果がある』 
ただ、そうした境地に至るには時間がかかった。庭野分署長も『私自身が逃げるのを恥ずかしく思っていた』と告白する。『でも、消防が被災してしまったら、誰が助けに行くのか。退職する年齢になって、ようやく分かってきた』と話す。・・・・」(p203)
コメント
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