幸田文の短文を読んでいたら、
父・露伴のことを思うわけです。
そうすると、
「地震雷火事親父」という言葉が思い浮かぶ。
この言葉。あんがい「ことわざ辞典」に掲載されていなかったり、あっても1~2行で解説をすませていたりです。
ところで
竹内政明著「名言手帳」(大和書房)に
「数ある『ことわざ辞典』のなかで、時田昌瑞著『岩波ことわざ辞典』は編集に個性があり、収録の幅が広く、読んでいて面白い。かつて漫才コンビ・ツービートがギャグとして流行させた【赤信号みんなで渡れば怖くない】も収められている。・・・」(p129)
うん(笑)。
さっそく時田昌瑞氏の「岩波ことわざ辞典」をひらいてみました。
ありました。これが図もあり、丁寧に書かれております。
せっかくなので、引用したくなります。
「この世の中で四つの恐ろしいもののこと。
家父長制の崩壊で、父親の昔ながらの権威がなくなってしまった現代では、親父は畏怖される対象ではない。だからこのことわざも死語化しつつあると、父権を問題にする論者がよく引合いに出すものである。しかし、では江戸や明治時代にこのことわざが実際に支持されていたかというといささか疑問がある。よく知られているわりに、江戸時代の用例はきわめて少ない。また、現代では一般に恐ろしいもの四つを恐ろしい順に挙げていると解釈されているが、明治時代の辞典類では、単に恐ろしいものの意となっている。江戸後期と推定される仇討小説『柳荒美談後編』(巻19)でも『地震もこはい。強き時は家作はいふに及ばず、山もくづれて大地もさける。一番恐ろしいものなりといへば、又一人進みいでていはく、親父も怖い、毎度眼のいづるほど叱られる。世にいふ通りに地震雷火事風親父、是らが怖いものなり』とあって、見出しの四つ以外に『風』を加えて世の中の『怖いもの』とは言っているが、『怖いものの順番』とは言っていない。図は、鯰や火事を擬人化した幕末の民俗版画『地震けん』から。」(p287)
一番は、地震で揺るぎないようなのでした。
方丈記でも
「恐れのなかの恐るべかりけるは、只地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか」と記しているわけです。
地震が注意をひく昨今。
親父への喚起も、ひかえているのじゃないか。
と、幸田露伴・幸田文親子を思い浮かべます。
父・露伴のことを思うわけです。
そうすると、
「地震雷火事親父」という言葉が思い浮かぶ。
この言葉。あんがい「ことわざ辞典」に掲載されていなかったり、あっても1~2行で解説をすませていたりです。
ところで
竹内政明著「名言手帳」(大和書房)に
「数ある『ことわざ辞典』のなかで、時田昌瑞著『岩波ことわざ辞典』は編集に個性があり、収録の幅が広く、読んでいて面白い。かつて漫才コンビ・ツービートがギャグとして流行させた【赤信号みんなで渡れば怖くない】も収められている。・・・」(p129)
うん(笑)。
さっそく時田昌瑞氏の「岩波ことわざ辞典」をひらいてみました。
ありました。これが図もあり、丁寧に書かれております。
せっかくなので、引用したくなります。
「この世の中で四つの恐ろしいもののこと。
家父長制の崩壊で、父親の昔ながらの権威がなくなってしまった現代では、親父は畏怖される対象ではない。だからこのことわざも死語化しつつあると、父権を問題にする論者がよく引合いに出すものである。しかし、では江戸や明治時代にこのことわざが実際に支持されていたかというといささか疑問がある。よく知られているわりに、江戸時代の用例はきわめて少ない。また、現代では一般に恐ろしいもの四つを恐ろしい順に挙げていると解釈されているが、明治時代の辞典類では、単に恐ろしいものの意となっている。江戸後期と推定される仇討小説『柳荒美談後編』(巻19)でも『地震もこはい。強き時は家作はいふに及ばず、山もくづれて大地もさける。一番恐ろしいものなりといへば、又一人進みいでていはく、親父も怖い、毎度眼のいづるほど叱られる。世にいふ通りに地震雷火事風親父、是らが怖いものなり』とあって、見出しの四つ以外に『風』を加えて世の中の『怖いもの』とは言っているが、『怖いものの順番』とは言っていない。図は、鯰や火事を擬人化した幕末の民俗版画『地震けん』から。」(p287)
一番は、地震で揺るぎないようなのでした。
方丈記でも
「恐れのなかの恐るべかりけるは、只地震(なゐ)なりけりとこそ覚え侍りしか」と記しているわけです。
地震が注意をひく昨今。
親父への喚起も、ひかえているのじゃないか。
と、幸田露伴・幸田文親子を思い浮かべます。