丸谷才一・池澤夏樹編「愉快な本と立派な本」(毎日新聞社)を、ひらいていたら、荒川洋治著「言葉のラジオ」(竹村出版)の書評が載っている。
いまいち、荒川洋治氏の本はわからないなりに、気になるので、古本で注文することに。
古本屋は「子どもの本の店 ピッポ」(静岡市清水草薙)
古本代630円+送料160円=790円なり。
人気ラジオ番組の活字化なのだそうです。
読みやすく、わかりやすいので、これなら読めそう。
印象に残る箇所は
(といっても全文は読んでおりません)
たとえば、「書棚の攻防」に
「現代詩にいやけがさしたときは、視野から全部の詩集を隠したくなり、奥の書棚に移してしまう。もうぜったいに詩なんか書かないからね、なんて叫びつつ。ところが何かの折り、ふと誰かと石原吉郎の詩『フェルナンデス』の話になり、いい詩だ、やはり詩っていいよなあと思い、飛んで帰る。そしてなにより先に書棚の政界再編となるのである。」(p128)
この2頁ほどの短文の最後はというと
「自分のなかで、いまどの分野が中心になっているのか、どの世界で燃えようとしているのかが棚でわかる。そのあと何が奥から敗者復活するのかも、一目瞭然ではあるのだが。」
うん。書棚の政界再編とか、敗者復活とか。
私の少ない本棚の整理をしている最中にも、ふと思い浮かびそうなフレーズだなあ。
手紙の整理についても、ありました。
「ぼくは人別に分けて、袋に入れ保管している。先生にあたる方の手紙はすべて『先生袋』。作家、詩人、批評家などのものはまとめて永久保存袋。過去の友人、あさからぬ関係にあった人の手紙もまとめて『青春袋』。問題なのが両親の手紙。学生時代からよく来た。『床屋に行け』だの『感謝の心を忘れるな』だの、いつも内容が同じなのでほとんど読んでいないが、この『親袋』がいちばんかさばる。」(p59)
うん。かさばるほどに手紙を書いていないなあ。
そういえば、両親と本棚との組み合わせもありました。
「いまぼくは福井の実家にいるのだが本は少ない。本らしいものといえば山本有三『波』、若杉慧『エデンの海』。いずれもいまは絶版の文庫である。子供のとき読んだ和歌森太郎・尾崎士郎『少年少女日本歴史全集4源氏と平家の戦い』(集英社・1961)。以上はぼくが買ったものだ。おぼえがあるのである。あと吉川英治の文庫(父は本を読まないがこれだけは買ったようだ)。歎異抄についてどこかのいなかの坊さんが書いた本、『表千家点前』(主婦の友社)『太ったかたのふだん着と外出着』(文化出版局)などは母親のものらしく発行年が古い。あと、子供のための蓮如上人の絵本。近くの古刹・・・・」(p64)
うん。福井の実家の宗派は、などとついつい思い描いてしまいます。
ちなみに、この本「言葉のラジオ」は1996年発行となっております。
書評の本で紹介されていたので、古本で買ったのですが、
この本の中にも、「書評の『裏』を読む」(p90~92)という文がありました。
そのはじまりは
「読書ガイドといえば、新聞の書評欄。ぼくは書評欄はなるべく全紙読むようにしている。・・・書評欄には個性がある。」
として
朝日は正統派、硬派。哲学、社会学など人文系に重点。
毎日は書評をする人の名前のほうが著者の名前よりも
大きい文字にして意識革命をはかる。
読売はソフトで親しみやすい。合評コーナーも新設。
日経はひろい視野から読書をとらえる。
産経はどの日も読書のページがあり、企画ものに新味。
と分類しておりました。そのあとに
「こうした全国紙では、影響が大きいので書評もあまり本音をいえない。しぶしぶほめるときも多い。・・・かくして書評を書く人は、表現力が鍛えられるのである。」
この文の最後の2行も引用しておきます。
「本来、書評とは書『表』なのかも。だから文章の裏にあるものを読みとる楽しみが読者には残される。本もいいが書評を読むのも勉強になる。」
ところで、荒川洋治さんは朝日新聞の書評欄を、まっさきにとりあげて「朝日は正統派、硬派。哲学、社会学など人文系に重点。」と指摘しておりました。う~ん。ついつい、この言葉の裏を読み取れ。といわれているような気がしてくるのでした。
いまいち、荒川洋治氏の本はわからないなりに、気になるので、古本で注文することに。
古本屋は「子どもの本の店 ピッポ」(静岡市清水草薙)
古本代630円+送料160円=790円なり。
人気ラジオ番組の活字化なのだそうです。
読みやすく、わかりやすいので、これなら読めそう。
印象に残る箇所は
(といっても全文は読んでおりません)
たとえば、「書棚の攻防」に
「現代詩にいやけがさしたときは、視野から全部の詩集を隠したくなり、奥の書棚に移してしまう。もうぜったいに詩なんか書かないからね、なんて叫びつつ。ところが何かの折り、ふと誰かと石原吉郎の詩『フェルナンデス』の話になり、いい詩だ、やはり詩っていいよなあと思い、飛んで帰る。そしてなにより先に書棚の政界再編となるのである。」(p128)
この2頁ほどの短文の最後はというと
「自分のなかで、いまどの分野が中心になっているのか、どの世界で燃えようとしているのかが棚でわかる。そのあと何が奥から敗者復活するのかも、一目瞭然ではあるのだが。」
うん。書棚の政界再編とか、敗者復活とか。
私の少ない本棚の整理をしている最中にも、ふと思い浮かびそうなフレーズだなあ。
手紙の整理についても、ありました。
「ぼくは人別に分けて、袋に入れ保管している。先生にあたる方の手紙はすべて『先生袋』。作家、詩人、批評家などのものはまとめて永久保存袋。過去の友人、あさからぬ関係にあった人の手紙もまとめて『青春袋』。問題なのが両親の手紙。学生時代からよく来た。『床屋に行け』だの『感謝の心を忘れるな』だの、いつも内容が同じなのでほとんど読んでいないが、この『親袋』がいちばんかさばる。」(p59)
うん。かさばるほどに手紙を書いていないなあ。
そういえば、両親と本棚との組み合わせもありました。
「いまぼくは福井の実家にいるのだが本は少ない。本らしいものといえば山本有三『波』、若杉慧『エデンの海』。いずれもいまは絶版の文庫である。子供のとき読んだ和歌森太郎・尾崎士郎『少年少女日本歴史全集4源氏と平家の戦い』(集英社・1961)。以上はぼくが買ったものだ。おぼえがあるのである。あと吉川英治の文庫(父は本を読まないがこれだけは買ったようだ)。歎異抄についてどこかのいなかの坊さんが書いた本、『表千家点前』(主婦の友社)『太ったかたのふだん着と外出着』(文化出版局)などは母親のものらしく発行年が古い。あと、子供のための蓮如上人の絵本。近くの古刹・・・・」(p64)
うん。福井の実家の宗派は、などとついつい思い描いてしまいます。
ちなみに、この本「言葉のラジオ」は1996年発行となっております。
書評の本で紹介されていたので、古本で買ったのですが、
この本の中にも、「書評の『裏』を読む」(p90~92)という文がありました。
そのはじまりは
「読書ガイドといえば、新聞の書評欄。ぼくは書評欄はなるべく全紙読むようにしている。・・・書評欄には個性がある。」
として
朝日は正統派、硬派。哲学、社会学など人文系に重点。
毎日は書評をする人の名前のほうが著者の名前よりも
大きい文字にして意識革命をはかる。
読売はソフトで親しみやすい。合評コーナーも新設。
日経はひろい視野から読書をとらえる。
産経はどの日も読書のページがあり、企画ものに新味。
と分類しておりました。そのあとに
「こうした全国紙では、影響が大きいので書評もあまり本音をいえない。しぶしぶほめるときも多い。・・・かくして書評を書く人は、表現力が鍛えられるのである。」
この文の最後の2行も引用しておきます。
「本来、書評とは書『表』なのかも。だから文章の裏にあるものを読みとる楽しみが読者には残される。本もいいが書評を読むのも勉強になる。」
ところで、荒川洋治さんは朝日新聞の書評欄を、まっさきにとりあげて「朝日は正統派、硬派。哲学、社会学など人文系に重点。」と指摘しておりました。う~ん。ついつい、この言葉の裏を読み取れ。といわれているような気がしてくるのでした。