和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ご存知、有名な『鮭』の絵です。

2012-06-24 | 短文紹介
今日まででしたね。
「近代洋画の開拓者 高橋由一」展が
東京芸術大学大学美術館で開催されておりました。

今月の6日に、一度だけ見にいってきました。
そのときは、「読本と草紙」が鮮やかな色彩で
印象に残りました。岸田劉生が思い浮かびました。

うん。はじめて高橋由一を意識したのは、
山村修著「狐が選んだ入門書」(ちくま新書)の
第五章にある
「画家の身にひそむ思想の筋力・・菊畑茂久馬『絵かきが語る近代美術』」でした。その本の副題は「高橋由一からフジタまで」となっている。
その紹介文を読んで、さっそく弦書房の菊畑茂久馬著『絵かきが語る近代美術』をとりよせて読んだのでした。こんな魅力的な本があるんだとウキウキしながら読んだのでした。ちなみにこの出版社は福岡市。
その第一章は「油画の創始者、高橋由一」。
そこに、たとえば、こんな言葉があります。

「下手ということは、絵かきにとっては、いのちの裸像なんです。絵かきはすぐ上手になる。だから駄目になるんです。」(p39)

「ご存知、有名な『鮭』の絵です。」(p44)
という箇所をすこし引用してみましょう。

「実物を見たのは恥ずかしながら、今回がはじめてでした。ずっと思い込んでいたサイズよりもはるかに大きい。絵の前に立つと、どうだ、参ったか!って感じ。私はカンバスとばかり思っておりましたが、紙に描いてるんですね。しかもフスマの表具立てで・・・この絵が、和紙に描かれているのは皮肉ですが、支持体が何であれ、西洋油絵の技術が由一によって、ともかく薬籠中のものになったというわけです。油絵は一種の錬金術ですから、いかに製法や技法に秘術がつまっているか、それを克服した一応の到達点がこの絵に見られるということでしょう。実際、絵を見ると完成度は数年前の『花魁図』や、同年に描かれた『豆腐』の絵と比べ、目を見はるばかりに高い。・・・
実際、絵を見てますと、実に堂々とした描き方なんです。こせこせと描いていない。全然細緻でもない。例えば鱗の描き方なんか、筆先の絵具を、べたッ、ぱッ、べたッと撥ね上げて描いている。鮭を吊るした荒縄のほつれもしかり、鮭の肉も骨もしかり、ほとんど揮発性の油を使ってないから、おそらくべとべとの油画特有の粘調性を逆手に、ま、一種のアクションペインティングを多用しているんですね。この絵はその集積です。・・・・この絵は何と言っても描いた絵かきが落ちつき払っている。それが見る者を絵の前でしゃんとさせるんですね。・・・」(p46)


私は何を見てきたのだろうと、
この本を読み直して思います。
まあいいか、とにかくも実物を見てきたのだから。

古田亮著「高橋由一 日本洋画の父」(中公新書)が今年の4月に出ておりましたが、未読。
コメント
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