古本が届く。
岩阪恵子著「台所の詩人たち」(岩波書店)。
古本屋は光風舎(長野市東町)
古本は800円+送料300円=1100円なり。
岩阪さんは名前だけしか知らない私ですが、
題名にひかれて注文。
本が届くまで、あれこれと思っておりました。
まず、題名からの連想です。
「台所の詩人たち」というのだから、
詩人たちの台所にまつわる詩のアンソロジーのような本なのだろうか?
もしそうなら、
たとえば、長田弘著「食卓一期一会」は出てくるだろうか?
それとも、幸田文著「台所のおと」なんてのもあるかもしれない?
高田敏子詩集にも台所の関連の詩はあるだろうなあ?
もちろん、石垣りんの詩はかかせない。
はたして、どんな詩人たちがつまっている本なのだろうなあ。
まあ、そんなことを思いながら古本が届いたわけです。
かってに思い描いていた本のイメージとは違っておりました(笑)。
あとがきには
「初めての随筆集を編みました。・・・これらの文章は、約四半世紀にわたる我が家の暮らしぶりを側面から照らしてくれるものでもあるようです。・・・書きちらかしてきた短文を、一冊にまとめてみませんかとおっしゃってくださった岩波書店の平田賢一氏・・・」
うん。随筆集で、その随筆の中に「台所の詩人たち」という一文があって、それを本の題名とした。そんな体裁の本なのでした。
とりあえず、ぱらぱらとひろげて見ていると、
「木山捷平の詩」と題する一文が目に止まりました。
そこから、引用。
「『飯を食ふ音』という詩がある。
人間が飯を食ふ音を
公衆食堂できいてゐると
丁度猫が水をなめてゐるやうな。
ああ、夕ぐれどきのさみしさよ、
人間が十五銭の皿をなめてゐる。
彼は、『何でもない詩論』でこう書いている ――『何がわれわれには美しいか。(中略)われわれは、われわれの生活により直接的であるものの方に、より美しさを感じる。人間がめしを食っている様子は実に美しいものである』。ここのところを読んで、わたしは最初どきっとした。なぜならわたしは自分でものを考えはじめるようになってから、食べるという行為を美しいとは、おそらく一度も思ったことがなかったからだ。・・・美しいと心底彼が感じているために、彼の詩はいやらしさからほど遠く、晴れ晴れするほど爽やかなのだ。」(p159~160)
ちなみに、「台所の詩人たち」という一文に登場する詩人たちは、というと、石垣りんからはじまり、山崎るり子・伊藤比呂美(エッセイ)・黒田三郎・清水哲男・北村太郎の詩が並んでおりました。
岩阪恵子著「台所の詩人たち」(岩波書店)。
古本屋は光風舎(長野市東町)
古本は800円+送料300円=1100円なり。
岩阪さんは名前だけしか知らない私ですが、
題名にひかれて注文。
本が届くまで、あれこれと思っておりました。
まず、題名からの連想です。
「台所の詩人たち」というのだから、
詩人たちの台所にまつわる詩のアンソロジーのような本なのだろうか?
もしそうなら、
たとえば、長田弘著「食卓一期一会」は出てくるだろうか?
それとも、幸田文著「台所のおと」なんてのもあるかもしれない?
高田敏子詩集にも台所の関連の詩はあるだろうなあ?
もちろん、石垣りんの詩はかかせない。
はたして、どんな詩人たちがつまっている本なのだろうなあ。
まあ、そんなことを思いながら古本が届いたわけです。
かってに思い描いていた本のイメージとは違っておりました(笑)。
あとがきには
「初めての随筆集を編みました。・・・これらの文章は、約四半世紀にわたる我が家の暮らしぶりを側面から照らしてくれるものでもあるようです。・・・書きちらかしてきた短文を、一冊にまとめてみませんかとおっしゃってくださった岩波書店の平田賢一氏・・・」
うん。随筆集で、その随筆の中に「台所の詩人たち」という一文があって、それを本の題名とした。そんな体裁の本なのでした。
とりあえず、ぱらぱらとひろげて見ていると、
「木山捷平の詩」と題する一文が目に止まりました。
そこから、引用。
「『飯を食ふ音』という詩がある。
人間が飯を食ふ音を
公衆食堂できいてゐると
丁度猫が水をなめてゐるやうな。
ああ、夕ぐれどきのさみしさよ、
人間が十五銭の皿をなめてゐる。
彼は、『何でもない詩論』でこう書いている ――『何がわれわれには美しいか。(中略)われわれは、われわれの生活により直接的であるものの方に、より美しさを感じる。人間がめしを食っている様子は実に美しいものである』。ここのところを読んで、わたしは最初どきっとした。なぜならわたしは自分でものを考えはじめるようになってから、食べるという行為を美しいとは、おそらく一度も思ったことがなかったからだ。・・・美しいと心底彼が感じているために、彼の詩はいやらしさからほど遠く、晴れ晴れするほど爽やかなのだ。」(p159~160)
ちなみに、「台所の詩人たち」という一文に登場する詩人たちは、というと、石垣りんからはじまり、山崎るり子・伊藤比呂美(エッセイ)・黒田三郎・清水哲男・北村太郎の詩が並んでおりました。