和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

犬も食わない。

2012-06-16 | 短文紹介
三木卓著「K」(講談社)を読む。

最後の方に、ご自身の家系を語っております。

「ぼくの家には、いろいろの血筋があるが、母方が助産師の家系で、はじまりは江戸にまで達している。家系図は、女が中心に描かれる。終戦直後、ぼくはその産院のひとつの居候の小学生になり、薪をわったり、お風呂をわかしたり、湯わかしを手伝ったりした。薪でお風呂をわかすのはうまくなった。」(p220)

「女系家族の中の男は、どこか鋳型が補完的役割をするように運命づけられている。ぼくには多分そういうところがあったから、なんとかうまくもったのかもしれない。そんなふうに考えると、少し納得がいく。・・・ぼくは争いをさける人間だった。足のわるいものが喧嘩しても、なんの利益もないからである。ぼくは、できるだけことなかれ主義の青年だったし、今もそうだ。」(p221~222)

こういう三木卓氏は「1935年生まれ。静岡県出身。幼少期を満州で過す。」とあります。


この本の最初のほうには、お風呂のことがでてきております。
「出会ったのは、1959年の秋のことで、ともに二十四歳だった。左足のわるいぼくは、ひっこみ思案でなかなか就職できず、ようやく書評新聞の記者という仕事にありついたところだった。だが、給料はとても安くて、次の給料日までのあいだをどうして生きていたのかよくわからない。女性は、もちろんほしかったが、いいよると必ずふられて、そのたびにまいっていた。」(p5)

まあ、そのあとに、奥さんとなるKと出会うわけです。

「数日後、たちまち事件が起った。
その朝も二人は国立で泊って、そこから出勤したのだったが、ふと、ぼくはいった。『そろそろ、風呂に入りたいねえ。今夜は、わかしといてくれないか』
その夜、ぼくが帰ってくると、家はまっくらでだれもいない。」

「チャーチャンは、笑いのまじった声でいった。
『お風呂わかせって、いわれたって、ブンブン怒っている』
なんですって!
ぼくは、びっくりした。
『お風呂なんて、だれだってわかすじゃありませんか』
『そうよ』
チャーチャンはいった。
『でも、彼女は怒っているの』
『どうしよう』  」

「しかし、ぼくには、からだのあたたかい女が、どうしても必要だった。Kがともかく帰ってきた以上、不可解なところがあっても、もう二度と逃がすまい、と思った。」(~p16)

こうして、はじまる「青森の八戸市の出身」のKとの暮しと、Kとの死別までが書かれております。そのKの詩集のこととか、堰を切ればドッとのまれてしまいそうな夫婦間の出来事を、そのつど押し留めるようにして、サラリとかわしながらたどった一冊。

現代詩のこととか、何のかのと、細部にひかれて読みました。夫婦喧嘩は犬も食わないと、昔から申しますが、女性詩人との夫婦関係を、作家三木卓がどのように回想しながら料理してゆくかが読みどころ。古くて新しい夫婦の物語。
コメント
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