外山滋比古氏の新刊をひらいております。
たとえば、こんな箇所。
「ひとつのパラグラフから次のパラグラフへ移るとき、
小さな飛躍の空間がある。それによって、
パラグラフとパラグラフが結びつけられる。
これを繰返していけばチャプター(章)ができる。
チャプターを重ねれば、ブックになる。」(p55)
「第五人称の読者」と題した短文は
こうはじまっております。
「若いときから、活字になった自分の文章を
まわりのものに読まれたくなかった。
家のものにも見せたくない。
友人に読まれるのも心が重い。
そのうちに本を出すようになって、
世間の常識に従って先輩知友に新刊を贈っていた。
あるとき何を思ったのかいまはさだかではないが、
誰にも贈らないときめてしまった。
気のおけない友人が
『どうしてくれないんだ』などと言ってくる。
『知っている人には読まれたくないのだ』
と答えるが、もちろん通じない。
『読まれたくないのにどうして出すのか』
などと食いさがる。
『いや、知らない人には一人でも多く
読んでもらいたい』
『まるで訳がわからん』・・」(p37)
こうして、
外山滋比古著「人生複線の思想」(みすず書房)を思いつくとひらきます。
たとえば、こんな箇所。
「ひとつのパラグラフから次のパラグラフへ移るとき、
小さな飛躍の空間がある。それによって、
パラグラフとパラグラフが結びつけられる。
これを繰返していけばチャプター(章)ができる。
チャプターを重ねれば、ブックになる。」(p55)
「第五人称の読者」と題した短文は
こうはじまっております。
「若いときから、活字になった自分の文章を
まわりのものに読まれたくなかった。
家のものにも見せたくない。
友人に読まれるのも心が重い。
そのうちに本を出すようになって、
世間の常識に従って先輩知友に新刊を贈っていた。
あるとき何を思ったのかいまはさだかではないが、
誰にも贈らないときめてしまった。
気のおけない友人が
『どうしてくれないんだ』などと言ってくる。
『知っている人には読まれたくないのだ』
と答えるが、もちろん通じない。
『読まれたくないのにどうして出すのか』
などと食いさがる。
『いや、知らない人には一人でも多く
読んでもらいたい』
『まるで訳がわからん』・・」(p37)
こうして、
外山滋比古著「人生複線の思想」(みすず書房)を思いつくとひらきます。