新聞のエッセイをパラパラと読むように、
外山滋比古著「人生複線の思想」(みすず書房)を
順不同で見ていたら、
あれ、未読箇所がなくなりました(笑)。
鶴見太郎著「座談の思想」を読んでから、
気になっていたのが菊池寛の座談でしたが、
外山さんのこの本にも登場しておりますので、
引用させてもらいます。
「球面論理」と題されている文のはじまりは、
「座談会というものがはじめて雑誌にのったのは
菊池寛の『文藝春秋』である。・・・」
あとは、肝心な箇所を引用。
「座談会形式の生まれたころの綜合雑誌の巻頭論文などは
珍無類の迷文でだれにもよくわからない。
一般読者はわからなくとも[すごい]と感心していれば
よいから気が楽である。執筆者にしても論理という
ことを考えるゆとりがなかったのかもしれないが、
心ならずも難解な文章になってしまったのであろう。
啓蒙期の苦悩である。
そういう壁に風穴をあけたのが座談形式である。
闇夜にコウモリの飛ぶような文章に苦しんでいた
読者が歓迎したのは当然だが、そこにかくれている
独創に思い及ばなかったのは是非もないことであった。
すぐれたものは
すべて外国からやってくると信じている社会では、
世界にさきがける新しい考えが生まれても、
認める用意がないのである。」(p58)
これ以降が本題なのですが、
とりあえず、私が気になった箇所を引用しました。
長屋の住人が外山滋比古大家さんに
お話を聞かせてもらいに行ったようで
内容のある味わいをさらりと聞けて、
何とも楽しい(笑)。
外山滋比古著「人生複線の思想」(みすず書房)を
順不同で見ていたら、
あれ、未読箇所がなくなりました(笑)。
鶴見太郎著「座談の思想」を読んでから、
気になっていたのが菊池寛の座談でしたが、
外山さんのこの本にも登場しておりますので、
引用させてもらいます。
「球面論理」と題されている文のはじまりは、
「座談会というものがはじめて雑誌にのったのは
菊池寛の『文藝春秋』である。・・・」
あとは、肝心な箇所を引用。
「座談会形式の生まれたころの綜合雑誌の巻頭論文などは
珍無類の迷文でだれにもよくわからない。
一般読者はわからなくとも[すごい]と感心していれば
よいから気が楽である。執筆者にしても論理という
ことを考えるゆとりがなかったのかもしれないが、
心ならずも難解な文章になってしまったのであろう。
啓蒙期の苦悩である。
そういう壁に風穴をあけたのが座談形式である。
闇夜にコウモリの飛ぶような文章に苦しんでいた
読者が歓迎したのは当然だが、そこにかくれている
独創に思い及ばなかったのは是非もないことであった。
すぐれたものは
すべて外国からやってくると信じている社会では、
世界にさきがける新しい考えが生まれても、
認める用意がないのである。」(p58)
これ以降が本題なのですが、
とりあえず、私が気になった箇所を引用しました。
長屋の住人が外山滋比古大家さんに
お話を聞かせてもらいに行ったようで
内容のある味わいをさらりと聞けて、
何とも楽しい(笑)。