日下公人氏の雑誌『WILL』でのコラムがいいなあ。
けれど、それが単行本になると、買うかどうかと、
躊躇(ちゅうちょ)してしまいます(笑)。
改めて、古雑誌を読み返せばいいわけで、
何も、新刊本を買う必要もないなあ。
などと、ついつい愚考しておりました。
そういえばm、昨日のブログの言葉を思い出します。
『人は本には金を惜しむ』(笑)。
そうして、躊躇しているうちに買わず仕舞い。
それが、もう古本で登場している。
はい。安いので思わず買いました。
それが、昨日届く。
日下公人著「ついに日本繁栄の時代がやって来た」(WAC)。
その最後にはこうあります。
「本書は月刊誌『WILL』に連載中
(2013年1月号~2017年2月号)のコラムを
一部改題加筆して構成したものです。」
この本の最初の方を引用して、
果たして、言葉が古くなっているかどうか、
ちょっと、判断していただこうと思います(笑)。
「マスコミが取り上げるテーマは、
だんだんスケールが小さくなってきた。
消費税でもTPPでも、ともかく生活への影響はどうかを
論じないと読者からの注目が集まらないという思い込みが
新聞社やテレビ局の社内に広がってもう二十年も経った
・・・・さらに悪いことにこの十年、
現場密着や現場取材を心がけていたベテラン記者たちが
どんどん定年で辞めている。
結果はマスコミ報道の空洞化である。
大局や現実を論ずる記者は消えて、
その代わりに登場したのは何と『外注化』である。・・
・・・・・・・・・
あたかも、地方新聞が通信社から買ってきたもので
東京ニュースやワシントンニュースを済ませているのと同じである。
なかには解説や社説まで買ったもので済ませる地方紙があって、
そうなると独自に書いているのは地元の小学校のイベントか、
県庁からの発表ものだけになる。
『そんなことでいいのですか』と地元情報を独占する
県紙の社長に訊くと、『それでもわが社には知事や
市長を落選させる力があるのです』と胸を張る。
その恫喝が県庁からの取材力にもなっているらしいが、
そもそも県庁が県内のことを全部知っているわけではない。
『そんなことでは、いずれ子供の運動会と高齢者の
死亡記事ばかりの新聞になりますよ』と警告したのは
もう二十年も前のことで、ホントにそうなってからは
気の毒で何も言えない(ヒラリーの落選を見落としたのも
四大メディアと言われる外電に頼って独自の観察をして
なかったためだと今なら分かる。頼らなかったのは藤井厳喜氏)。
いまは全国紙もそうなってきた。たとえば
『世界のトップを走る日本の姿を外国に教える記事』とか、
『日本ならではの主張』とかは安倍首相一人の活躍に任せて、
自分は相変わらずの首相批判。その結果は販売部数の減少だと思うが、
その辺の事情についての記事は書けないのか、書かないのか、
国民には分からない。・・・・・」(~p20)
はい。
「その辺の事情についての記事は
書けないのか、書かないのか、国民には分からない。」
「国民には分からない」ことを、教えてくれるコラムがあり、
それを毎月読める幸せに、あらためて感謝しております。
けれど、それが単行本になると、買うかどうかと、
躊躇(ちゅうちょ)してしまいます(笑)。
改めて、古雑誌を読み返せばいいわけで、
何も、新刊本を買う必要もないなあ。
などと、ついつい愚考しておりました。
そういえばm、昨日のブログの言葉を思い出します。
『人は本には金を惜しむ』(笑)。
そうして、躊躇しているうちに買わず仕舞い。
それが、もう古本で登場している。
はい。安いので思わず買いました。
それが、昨日届く。
日下公人著「ついに日本繁栄の時代がやって来た」(WAC)。
その最後にはこうあります。
「本書は月刊誌『WILL』に連載中
(2013年1月号~2017年2月号)のコラムを
一部改題加筆して構成したものです。」
この本の最初の方を引用して、
果たして、言葉が古くなっているかどうか、
ちょっと、判断していただこうと思います(笑)。
「マスコミが取り上げるテーマは、
だんだんスケールが小さくなってきた。
消費税でもTPPでも、ともかく生活への影響はどうかを
論じないと読者からの注目が集まらないという思い込みが
新聞社やテレビ局の社内に広がってもう二十年も経った
・・・・さらに悪いことにこの十年、
現場密着や現場取材を心がけていたベテラン記者たちが
どんどん定年で辞めている。
結果はマスコミ報道の空洞化である。
大局や現実を論ずる記者は消えて、
その代わりに登場したのは何と『外注化』である。・・
・・・・・・・・・
あたかも、地方新聞が通信社から買ってきたもので
東京ニュースやワシントンニュースを済ませているのと同じである。
なかには解説や社説まで買ったもので済ませる地方紙があって、
そうなると独自に書いているのは地元の小学校のイベントか、
県庁からの発表ものだけになる。
『そんなことでいいのですか』と地元情報を独占する
県紙の社長に訊くと、『それでもわが社には知事や
市長を落選させる力があるのです』と胸を張る。
その恫喝が県庁からの取材力にもなっているらしいが、
そもそも県庁が県内のことを全部知っているわけではない。
『そんなことでは、いずれ子供の運動会と高齢者の
死亡記事ばかりの新聞になりますよ』と警告したのは
もう二十年も前のことで、ホントにそうなってからは
気の毒で何も言えない(ヒラリーの落選を見落としたのも
四大メディアと言われる外電に頼って独自の観察をして
なかったためだと今なら分かる。頼らなかったのは藤井厳喜氏)。
いまは全国紙もそうなってきた。たとえば
『世界のトップを走る日本の姿を外国に教える記事』とか、
『日本ならではの主張』とかは安倍首相一人の活躍に任せて、
自分は相変わらずの首相批判。その結果は販売部数の減少だと思うが、
その辺の事情についての記事は書けないのか、書かないのか、
国民には分からない。・・・・・」(~p20)
はい。
「その辺の事情についての記事は
書けないのか、書かないのか、国民には分からない。」
「国民には分からない」ことを、教えてくれるコラムがあり、
それを毎月読める幸せに、あらためて感謝しております。