池島信平対談集「文学よもやま話」下。
ここに登場する、梶山季之氏が気になったので、
古本を注文。それが土曜日に届いていた。
「月刊噂」梶山季之責任編集。昭和48年4月号。
特集は「最後の雑誌編集者池島信平」。
そこにある石原昭氏の文には
「いろんな席で信平さんにひやかされたが、そのとき、
信平さんは実にあたたかく教えてくれた。
『とにかく先ず人に会うこと。活字になったものを
読んだ感じや、人の噂だけをもとに、原稿を頼まないこと。
雑誌の生きが悪くなったり、間違った筆者を立てることになる
からなァ。なるたけいろんな人に会ってナマの話を聞き、
自分でテーマを引き出せよ』・・・
先ず人に会い、そのとき受けた自分の感じを大切にしろ。
信平さんのこの教え・・」(p12)
青地晨氏は対談でこう語っております。
青地】 池島さんがぼくにいったことで、
いまでもハッキリおぼえていることがある。
『おまえは四畳半でナギナタをふりまわして
いるんじゃないか。庭にでてやれ、庭に』と。
要するに、おまえはイデオロギーの虜になって
しまっている、という。
『それじゃ、なにをすればいいんだ』ときいたら、
・・・坂口安吾という作家はおもしろいから、
あれにルポを書かせろ、と。これは、あとで
『文春』がやりました。・・・坂口は、
彼がやるまえにタネをくれたのですから、
編集者として、よく教えてくれたと思いますよ。(p19)
青地】 ・・彼のオハコの歌は
『新兵さん、新兵さん、旗立てて・・・』ですよ。
例の兵隊の歌でしょう。このあいだ、
大岡昇平の『戦争と文学』という対談集を読んだら、
池島さんのいっていることがよくわかった。
・・・・
青地】おれは、歴史については、
とにかく自信があるんだとは、よくいっていたね。
ほんとうに歴史が好きで、歴史のなかから世代人情とか、
あるいは国家の興亡を、巨視的に見る面はもっていた。
松浦】だから、ぼくは
『天皇陛下大いに笑う』は、当時感心しなかったし、
たしか昭和25年だと思ったけれど、高木惣吉さんの書いた
『連合艦隊始末記』も、われわれにいわせると『後向き』だった。
なんであんなのだしたのか、と思った。
それから真珠湾攻撃の飛行隊長だった淵田美津雄氏の記録、
また牧野伸顕の話なども、当時は、読んで反感をもったものです。
ああいうのは、典型的な池島流の企画で、
ものすごく読みやすかったのは事実ですね。
でも、反感をもっていたんですが、いまになって
戦争中のことを調べていると、非常にいい記録だとわかりますね。
青地】 事実を記録することを、池島さんは
一等資料とか二等資料とかいっていたが、
要するに歴史家として、体験者の直接の談話は一等資料だという。
そうしたものを、できるだけたくさん残すのだ、
その意識はありました。
ただ、話そのままでは、材料がナマすぎて、
彼にはおもしろくなかった。そこで、
いいリライターを使ったり、料理の仕方を工夫して、
十分に読めるものをつくった。
これが≪文春ジャーナリズム≫の根本なんです。
ヨソが真似しても、この点ができない。
『文春』のは、インテリが読んでも、史実的には正しいし、
同時に文章も品格があるものをだした。
リライターの活用ですね。そのなかから
梶山季之が出たし、村島健一もいる。
しかし、池島さんは、雑誌に書く人が有名であるよりも、
無名でも、おもしろい材料のほうを先にした。
(p21~22)
はい。一部だけ引用するのは、まどろっこしい(笑)。
この雑誌を、買えてよかった。
そうそう。
池島信平対談集「文学よもやま話」下には、
大岡昇平氏との対談も掲載されております。
ついでだから最後に、その対談からも引用。
池島】 えーと、きょうは、いやだろうけれどもね、
芸術院賞辞退の話を、ほんのちょっとだけうかがいたいな。
あとは戦争の話でも・・・。
・・・・・
大岡】 芸術院賞は断れても、信平さんの対談は断れない(笑)。
それにしても、古いつきあいのくせに、対談なんて
しゃれたこと、はじめてだね。
大岡】何かいうと反響があってね。
それがすぐあげ足とりになってくるんだよ。・・・
そしたら、まだどっかの匿名欄で
『≪普通の人≫とはなんだ。特権意識がどうにも鼻もちならない』
とくるだろう。全部、言葉尻なんだよ(笑)
池島】みんな、そうだよ。いまのマスコミってのは、
それから成り立ってるんだ。『言葉尻マスコミ』かね(笑)。
・・・
池島】あなたの『レイテ戦記』、ぼくは雑誌のときから
読んでいたんだけれど、あれは歴史家の書き方ですね。
個人的なことや何かを、極力おさえたでしょう。
つまりは、叙事詩だね。
大岡】そういうことになるのかな。こっちは、
なるべく事実をそのままに書いたというだけでね。
ただ、あんたは歴史家だからよく知っているけれども、
歴史というのは資料が、そもそも怪しいものだろう。
ここに登場する、梶山季之氏が気になったので、
古本を注文。それが土曜日に届いていた。
「月刊噂」梶山季之責任編集。昭和48年4月号。
特集は「最後の雑誌編集者池島信平」。
そこにある石原昭氏の文には
「いろんな席で信平さんにひやかされたが、そのとき、
信平さんは実にあたたかく教えてくれた。
『とにかく先ず人に会うこと。活字になったものを
読んだ感じや、人の噂だけをもとに、原稿を頼まないこと。
雑誌の生きが悪くなったり、間違った筆者を立てることになる
からなァ。なるたけいろんな人に会ってナマの話を聞き、
自分でテーマを引き出せよ』・・・
先ず人に会い、そのとき受けた自分の感じを大切にしろ。
信平さんのこの教え・・」(p12)
青地晨氏は対談でこう語っております。
青地】 池島さんがぼくにいったことで、
いまでもハッキリおぼえていることがある。
『おまえは四畳半でナギナタをふりまわして
いるんじゃないか。庭にでてやれ、庭に』と。
要するに、おまえはイデオロギーの虜になって
しまっている、という。
『それじゃ、なにをすればいいんだ』ときいたら、
・・・坂口安吾という作家はおもしろいから、
あれにルポを書かせろ、と。これは、あとで
『文春』がやりました。・・・坂口は、
彼がやるまえにタネをくれたのですから、
編集者として、よく教えてくれたと思いますよ。(p19)
青地】 ・・彼のオハコの歌は
『新兵さん、新兵さん、旗立てて・・・』ですよ。
例の兵隊の歌でしょう。このあいだ、
大岡昇平の『戦争と文学』という対談集を読んだら、
池島さんのいっていることがよくわかった。
・・・・
青地】おれは、歴史については、
とにかく自信があるんだとは、よくいっていたね。
ほんとうに歴史が好きで、歴史のなかから世代人情とか、
あるいは国家の興亡を、巨視的に見る面はもっていた。
松浦】だから、ぼくは
『天皇陛下大いに笑う』は、当時感心しなかったし、
たしか昭和25年だと思ったけれど、高木惣吉さんの書いた
『連合艦隊始末記』も、われわれにいわせると『後向き』だった。
なんであんなのだしたのか、と思った。
それから真珠湾攻撃の飛行隊長だった淵田美津雄氏の記録、
また牧野伸顕の話なども、当時は、読んで反感をもったものです。
ああいうのは、典型的な池島流の企画で、
ものすごく読みやすかったのは事実ですね。
でも、反感をもっていたんですが、いまになって
戦争中のことを調べていると、非常にいい記録だとわかりますね。
青地】 事実を記録することを、池島さんは
一等資料とか二等資料とかいっていたが、
要するに歴史家として、体験者の直接の談話は一等資料だという。
そうしたものを、できるだけたくさん残すのだ、
その意識はありました。
ただ、話そのままでは、材料がナマすぎて、
彼にはおもしろくなかった。そこで、
いいリライターを使ったり、料理の仕方を工夫して、
十分に読めるものをつくった。
これが≪文春ジャーナリズム≫の根本なんです。
ヨソが真似しても、この点ができない。
『文春』のは、インテリが読んでも、史実的には正しいし、
同時に文章も品格があるものをだした。
リライターの活用ですね。そのなかから
梶山季之が出たし、村島健一もいる。
しかし、池島さんは、雑誌に書く人が有名であるよりも、
無名でも、おもしろい材料のほうを先にした。
(p21~22)
はい。一部だけ引用するのは、まどろっこしい(笑)。
この雑誌を、買えてよかった。
そうそう。
池島信平対談集「文学よもやま話」下には、
大岡昇平氏との対談も掲載されております。
ついでだから最後に、その対談からも引用。
池島】 えーと、きょうは、いやだろうけれどもね、
芸術院賞辞退の話を、ほんのちょっとだけうかがいたいな。
あとは戦争の話でも・・・。
・・・・・
大岡】 芸術院賞は断れても、信平さんの対談は断れない(笑)。
それにしても、古いつきあいのくせに、対談なんて
しゃれたこと、はじめてだね。
大岡】何かいうと反響があってね。
それがすぐあげ足とりになってくるんだよ。・・・
そしたら、まだどっかの匿名欄で
『≪普通の人≫とはなんだ。特権意識がどうにも鼻もちならない』
とくるだろう。全部、言葉尻なんだよ(笑)
池島】みんな、そうだよ。いまのマスコミってのは、
それから成り立ってるんだ。『言葉尻マスコミ』かね(笑)。
・・・
池島】あなたの『レイテ戦記』、ぼくは雑誌のときから
読んでいたんだけれど、あれは歴史家の書き方ですね。
個人的なことや何かを、極力おさえたでしょう。
つまりは、叙事詩だね。
大岡】そういうことになるのかな。こっちは、
なるべく事実をそのままに書いたというだけでね。
ただ、あんたは歴史家だからよく知っているけれども、
歴史というのは資料が、そもそも怪しいものだろう。