梅棹猛著「京都鬼だより」(淡交社)を
古本で買う。安くてきれいで、しかも帯つき。
まあ、内容は、
京都新聞の『天眼』欄の連載を一冊にしたもの。
2010年初版。
触手がうごいたのは、題名の「鬼」。
あとがきには
「アイヌ研究者の藤村久和氏によれば、
アイヌ語で歳をとった人間のことを『オンヌ』という。
私は、アイヌ語は縄文語の名残を多分にとどめる言語
と考えているが、古代日本人は、人間が歳をとると
鬼になると考えたのであろう。
鬼には悪鬼と善鬼がいるが、人間が歳をとってなる
鬼は悪鬼より善鬼であろう。能に登場する翁や媼も、
どこかにすでに人間ではなくなった鬼の性格をもっている。」
(p196)
表紙カバーには、ご本人の立ち姿の写真。
うん。鬼のような顔に見えないことはありません。
ある、アンソロジーに
百目鬼恭三郎氏の『鬼』という文がありました。
(「奇談の時代」に収録されているそうです)
そこに、こんな箇所。
「『岩波古語辞典』によると、オニということばが
文献に現れるのは平安時代に入ってからで、
奈良時代の『万葉集』では『鬼』という漢字を
モノと訓(よ)ませている。モノとは、直接いう
ことを避けねばならない超自然的なおそろしい
存在という意味のことばだった。そういう
超自然的なおそろしいモノである鬼は、
本来は姿を見せない存在と考えられていたという。
オニということばにしても、『隠』の
古い字音onに母音iをつけたものという説がつよい。
・・・・」
こうして、最後に今昔物語から
鬼が登場するある物語を引用しておりました。
そして、百目鬼氏は文の最後をこうしめくくります。
「老人が年をとりすぎると、鬼になることがある
ということを、現代の常識で分析してみると、
老人性痴呆からタンタロス症状を呈するようになったさまを、
昔の人は鬼になったと観じた、ということになろうか。
私は、これと姥捨ての習俗とは無関係ではないように
思っている。」
「老人が年をとりすぎると、鬼になることがある」。
そんなことを眠られぬ夏の夜に思えば、
ス~ッとしてきて、暑さを忘れるかもしれない。
ちなみに、講談社学術文庫の
「今昔物語集 本朝世俗篇 下」(武石彰夫による全現代語訳)。
そこに、百目鬼氏が引用した物語は、p80~82にありました。
古本で買う。安くてきれいで、しかも帯つき。
まあ、内容は、
京都新聞の『天眼』欄の連載を一冊にしたもの。
2010年初版。
触手がうごいたのは、題名の「鬼」。
あとがきには
「アイヌ研究者の藤村久和氏によれば、
アイヌ語で歳をとった人間のことを『オンヌ』という。
私は、アイヌ語は縄文語の名残を多分にとどめる言語
と考えているが、古代日本人は、人間が歳をとると
鬼になると考えたのであろう。
鬼には悪鬼と善鬼がいるが、人間が歳をとってなる
鬼は悪鬼より善鬼であろう。能に登場する翁や媼も、
どこかにすでに人間ではなくなった鬼の性格をもっている。」
(p196)
表紙カバーには、ご本人の立ち姿の写真。
うん。鬼のような顔に見えないことはありません。
ある、アンソロジーに
百目鬼恭三郎氏の『鬼』という文がありました。
(「奇談の時代」に収録されているそうです)
そこに、こんな箇所。
「『岩波古語辞典』によると、オニということばが
文献に現れるのは平安時代に入ってからで、
奈良時代の『万葉集』では『鬼』という漢字を
モノと訓(よ)ませている。モノとは、直接いう
ことを避けねばならない超自然的なおそろしい
存在という意味のことばだった。そういう
超自然的なおそろしいモノである鬼は、
本来は姿を見せない存在と考えられていたという。
オニということばにしても、『隠』の
古い字音onに母音iをつけたものという説がつよい。
・・・・」
こうして、最後に今昔物語から
鬼が登場するある物語を引用しておりました。
そして、百目鬼氏は文の最後をこうしめくくります。
「老人が年をとりすぎると、鬼になることがある
ということを、現代の常識で分析してみると、
老人性痴呆からタンタロス症状を呈するようになったさまを、
昔の人は鬼になったと観じた、ということになろうか。
私は、これと姥捨ての習俗とは無関係ではないように
思っている。」
「老人が年をとりすぎると、鬼になることがある」。
そんなことを眠られぬ夏の夜に思えば、
ス~ッとしてきて、暑さを忘れるかもしれない。
ちなみに、講談社学術文庫の
「今昔物語集 本朝世俗篇 下」(武石彰夫による全現代語訳)。
そこに、百目鬼氏が引用した物語は、p80~82にありました。