梅原猛ほか「仏教伝来(日本篇)」プレジデント社が
古本で安かったので買ってありました。
9人ほどの人たちの文が並んでおり、
それぞれが短いので読みやすそうです(笑)。
さてっと、はじまりは梅原猛さん。
日本仏教という、雑木雑草が立ちはだかり、
道はふさがり、その全体が見通せない世界へと分け入り。
大鉈をふりかざして、けもの道をとりあえず通して
見晴らしをつくったようなp9~38の短文を読みました。
うん。分りやすいなあ(笑)。
私が興味をもったのは、行基をとりあげた
この箇所。
「行基は・・建築・造形の技能にからむ用語名称が残されている
ことからも分かるように、全国を遍歴して道路や橋梁や池堤などの
設置にかかわったのち聖武天皇に招請されて大仏造営にあたり、
大僧正位を授けられた工学の天才に恵まれた異色の学僧であった。
また彼は『日本霊異記』などによると、全国遍歴中に
数多くの木彫仏を彫り遺したとされているが、
その実態は最近まで明らかにされていなかった。
ところが以前からそのことを長く調査研究してきた
奈良大学の井上正教授の説によると、
今まで平安時代の『できそこないの仏像』と
見なされていたものの多くが奈良時代の、
それも『行基仏』であるらしいという。
その『行基仏』は、いわゆる官立寺院の本尊の金銅仏のように
左右対称の秀麗なお顔のものとは類を異にし、
千差万別、顔立ちから表情からみな個性的で、
まさしく日本の民衆の顔である。しかも目の無いものが少なくない。
それは木というものには神聖な精霊が宿っているとするアニミズム的、
自然信仰的な土着神道からくる発想があり、
それは木から出現したばかりの仏なのである。
・・・
『行基仏』の系譜は『木喰(もくじき)仏』、『円空仏』など
今なお日本人に親しまれている木彫仏へと直結する。・・」
(~p26)
はい。気になったので
学研の「人間の美術 4」を注文して、
それが今日届きました。
このシリーズは監修・梅原猛。
この4巻目「平城の爛熟」が、梅原猛と井上正と解説をしており、
写真も豊富。古本で値段も安い。
この「人間の美術 4」に
愛知県西春日井郡師勝町の高田寺(こうでんじ)に
伝わる仏像を紹介した梅原猛氏の文があり、
その文を読みながら仏像の写真を拝見していると
じ~んとしてくるものがありました(p124~127)。
はい。「できそこないの仏像」から、
見渡す展望の何と新鮮なことか(笑)。
私には、白洲正子さんの仏像ものより
じ~んと来る手応えが写真と共にありました。
古本で安かったので買ってありました。
9人ほどの人たちの文が並んでおり、
それぞれが短いので読みやすそうです(笑)。
さてっと、はじまりは梅原猛さん。
日本仏教という、雑木雑草が立ちはだかり、
道はふさがり、その全体が見通せない世界へと分け入り。
大鉈をふりかざして、けもの道をとりあえず通して
見晴らしをつくったようなp9~38の短文を読みました。
うん。分りやすいなあ(笑)。
私が興味をもったのは、行基をとりあげた
この箇所。
「行基は・・建築・造形の技能にからむ用語名称が残されている
ことからも分かるように、全国を遍歴して道路や橋梁や池堤などの
設置にかかわったのち聖武天皇に招請されて大仏造営にあたり、
大僧正位を授けられた工学の天才に恵まれた異色の学僧であった。
また彼は『日本霊異記』などによると、全国遍歴中に
数多くの木彫仏を彫り遺したとされているが、
その実態は最近まで明らかにされていなかった。
ところが以前からそのことを長く調査研究してきた
奈良大学の井上正教授の説によると、
今まで平安時代の『できそこないの仏像』と
見なされていたものの多くが奈良時代の、
それも『行基仏』であるらしいという。
その『行基仏』は、いわゆる官立寺院の本尊の金銅仏のように
左右対称の秀麗なお顔のものとは類を異にし、
千差万別、顔立ちから表情からみな個性的で、
まさしく日本の民衆の顔である。しかも目の無いものが少なくない。
それは木というものには神聖な精霊が宿っているとするアニミズム的、
自然信仰的な土着神道からくる発想があり、
それは木から出現したばかりの仏なのである。
・・・
『行基仏』の系譜は『木喰(もくじき)仏』、『円空仏』など
今なお日本人に親しまれている木彫仏へと直結する。・・」
(~p26)
はい。気になったので
学研の「人間の美術 4」を注文して、
それが今日届きました。
このシリーズは監修・梅原猛。
この4巻目「平城の爛熟」が、梅原猛と井上正と解説をしており、
写真も豊富。古本で値段も安い。
この「人間の美術 4」に
愛知県西春日井郡師勝町の高田寺(こうでんじ)に
伝わる仏像を紹介した梅原猛氏の文があり、
その文を読みながら仏像の写真を拝見していると
じ~んとしてくるものがありました(p124~127)。
はい。「できそこないの仏像」から、
見渡す展望の何と新鮮なことか(笑)。
私には、白洲正子さんの仏像ものより
じ~んと来る手応えが写真と共にありました。