「めだかの学校」といえば、
たしか、鶴見俊輔の本に、そういう題の文があったなあ。
そう思ってめくっていると、ありました。
鶴見俊輔著「私の地平線の上に」(潮出版社)。
このなかに、「めだかの学校」と題した文があります。
以前に題名が、気になったので読んだ覚えがあります。
この文のなかに、
桑原武夫と鶴見俊輔のつながりが読め、
なるほどなあ、と思いました。
それとはそうと、
この文のなかに、無着成恭の文集「山びこ学校」が
ちらっと出てきたり、芦田恵之助が登場したりします。
「同志社大学には、宗教部というものがあった」(p189)
という箇所から、ひろがってゆく場面もありました。
うん。いろいろ登場するのですが、
今回、気になったのは、
無着成恭と芦田恵之助でした。
まず、無着成恭。
この方は、道元と関係があります。
旺文社「道元に出会う」に、無着成恭が書いております。
そのはじまりは
「わたしは何かのきっかけで、道元と出会ったのではない。
わたしは、小さな禅寺に生まれたので、小学生の頃から
父の口をとおしたり、父の師匠から教えられたりして、
道元のコトバを聞いてきた。・・・・はじめは、父や
師匠のコトバとして聞いていたのだ。それが道元のコトバ
だったとか釈迦のコトバだったのだということは、
あとでわかったことである。・・・」
うん。無着成恭と道元の関係は深い。
あるいは、「山びこ学校」というのも、
道元の教えと関係が深いのかもしれない。
と、自然と考えたくなります(笑)。
ちなみに、鶴見俊輔の文に登場する箇所は
こういう場面でした。
「戦後、昭和26年になって無着成恭の文集『山びこ学校』が
出たときには、欧米輸入の学術語をあてはめて日本の出来事を
分析しているような自分の学問に対して一つの打撃を
あたえられたように感じた。・・・」(p199)
お経本の「修証義」の第四章「発願利生」に
「菩提心をおこすというは・・・・
たとい七歳の女流なりとも即ち四衆の導師なり、
衆生の慈父なり、男女を論ずることなかれ、
これ佛道極妙の法則なり。・・」
うん。子どもたちに作文をかかせ
そこから無着成恭が読み解くのは、
道元の教えが支えとなっているのかもしれない。
鶴見俊輔の文に登場する、芦田恵之助の文には
直接、道元という言葉も登場しておりました。
「戦後になって芦田は、自分たちの教育運動の機関誌を
『同志同行』から『低平』に改めている。・・・・
『「低平」の語は道元禅師の典座教訓からいただいたものです。
『高処高平低処低平』とある最後の二字です。・・・」
はい。芦田恵之助って、読んだことがないので、
古本で注文することに(笑)。
たしか、鶴見俊輔の本に、そういう題の文があったなあ。
そう思ってめくっていると、ありました。
鶴見俊輔著「私の地平線の上に」(潮出版社)。
このなかに、「めだかの学校」と題した文があります。
以前に題名が、気になったので読んだ覚えがあります。
この文のなかに、
桑原武夫と鶴見俊輔のつながりが読め、
なるほどなあ、と思いました。
それとはそうと、
この文のなかに、無着成恭の文集「山びこ学校」が
ちらっと出てきたり、芦田恵之助が登場したりします。
「同志社大学には、宗教部というものがあった」(p189)
という箇所から、ひろがってゆく場面もありました。
うん。いろいろ登場するのですが、
今回、気になったのは、
無着成恭と芦田恵之助でした。
まず、無着成恭。
この方は、道元と関係があります。
旺文社「道元に出会う」に、無着成恭が書いております。
そのはじまりは
「わたしは何かのきっかけで、道元と出会ったのではない。
わたしは、小さな禅寺に生まれたので、小学生の頃から
父の口をとおしたり、父の師匠から教えられたりして、
道元のコトバを聞いてきた。・・・・はじめは、父や
師匠のコトバとして聞いていたのだ。それが道元のコトバ
だったとか釈迦のコトバだったのだということは、
あとでわかったことである。・・・」
うん。無着成恭と道元の関係は深い。
あるいは、「山びこ学校」というのも、
道元の教えと関係が深いのかもしれない。
と、自然と考えたくなります(笑)。
ちなみに、鶴見俊輔の文に登場する箇所は
こういう場面でした。
「戦後、昭和26年になって無着成恭の文集『山びこ学校』が
出たときには、欧米輸入の学術語をあてはめて日本の出来事を
分析しているような自分の学問に対して一つの打撃を
あたえられたように感じた。・・・」(p199)
お経本の「修証義」の第四章「発願利生」に
「菩提心をおこすというは・・・・
たとい七歳の女流なりとも即ち四衆の導師なり、
衆生の慈父なり、男女を論ずることなかれ、
これ佛道極妙の法則なり。・・」
うん。子どもたちに作文をかかせ
そこから無着成恭が読み解くのは、
道元の教えが支えとなっているのかもしれない。
鶴見俊輔の文に登場する、芦田恵之助の文には
直接、道元という言葉も登場しておりました。
「戦後になって芦田は、自分たちの教育運動の機関誌を
『同志同行』から『低平』に改めている。・・・・
『「低平」の語は道元禅師の典座教訓からいただいたものです。
『高処高平低処低平』とある最後の二字です。・・・」
はい。芦田恵之助って、読んだことがないので、
古本で注文することに(笑)。