和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

はなはだ仏教的なのである。

2019-02-28 | 道しるべ
古本で注文してあった
「綴方十二ヶ月の意義と価値」が届く。

はい。芦田恵之助についての関連本です。
最後に芦田恵之助の年譜がありますので紹介。
1873年(明治6年)1月8日
兵庫県氷上郡竹田村樽井に生まれる。
1951年(昭和26年)12月9日死亡。

とあります。この本はいろいろな方々が、
芦田恵之助について、書いておられます。

私が読んだのは宮本常一氏の文。
そこから印象に残る箇所を引用。

「・・私は昭和25年から35年くらいまでのおよそ
10年ほどは比較的多く民家の古文書を見てあるいた。
そしてそのとき多くのことを教えられた。・・・
・・・・・・
文字を理解しているといっても、それぞれの家に
伝承せられている文化は決して一様ではない。
一方ではきびしい儒教道徳の伝承せられている家がある。
他方には春色梅暦や浮世床、東海道中膝栗毛など
がよまれている家があり、
浄瑠璃本が読まれている家がある。
あるいはまた正信偈や蓮如上人御一代聞書のようなものが、
何代も何代も読みつがれている家がある。
そしてそれらの家々の文化が
ほとんど交りあることがなかった。

私がこんなことを長々と書いたのは、
芦田先生の中にある伝承文化がどういうものであったかを
位置付けて考えてみたかったからである。
芦田先生の家はいわゆる武士系ではなかった。
とすれば庄屋文化か、庶民仏教文化系に属するものになる。
そして芦田先生の御生涯の言動を見ると、
はなはだ仏教的なのである。
『綴方十二ヶ月』を読んでいて
私がもっとも心をうたれたのは
庄屋文化(百姓文化といってもいいであろう)や
庶民仏教的な考え方である。
そういうものが骨の髄までしみこんでいた人であった。
・・・」


はい。読めてよかった。
こういう視点は、私は五十代までは
きっと、受け付けなかったような気がします。
うん。還暦すぎての読書の楽しみ。ここにあり(笑)。

コメント
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