和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

『かつ丼』という言葉。

2019-02-14 | 短文紹介
山野博史著「司馬さん、みつけました。」(和泉書院)に
「提供もれがもう1つ。」とあり、
p50~51に「『全国高等学校作文選手権』と銘打つ
『文(ぶん)の甲子園』の選評(「候補作を読んで」)2篇。」

ここに、
山野さんが、司馬さんの選評を紹介しておりました。
文藝春秋の平成4年4月号は「次回のために」。
文藝春秋の平成5年4月号は「レベルが高い」。
と題して、それぞれに司馬さんの短文がありました。


うん。今回、
その雑誌を読み返せたので、
忘れない内に、私なりの引用をしなくっちゃね。
雑誌はとくに視界から消えるとすぐ見失う(笑)。


この際なので、すこし長めの引用を。

第一回目の「候補作を読んで」で司馬さんは
こう指摘しておりました。

「作文の言語はなによりも平易がいい。
 それに、魅力的でなければならない。」


うん。短いので後半を全部引用しちゃいましょう。

「・・・カツ丼の現物が目の前にあるよりも、
『カツ丼』という言葉を聞くか発音したとき、
現物よりはるかに多様でゆたかなイメージがおこる。

本来、魅力的であるはずの言語が、
さほどの魅力もなしに氾濫しているのは、
例として政局ごとに発言される言語を考えるといい。
もし、
『この程度の選択しかできないのは、
私どもの政府や国民が、その程度の
寸法しかもっていないということです』

と、赤裸に語りはじめれば、
あとの言語はすべて発光するはずだが、
正直でないために退屈になる。

正直には、勇気と鍛錬が要る。
ユーモアもそこからうまれる。

また正直であることのつらさから、
切羽づまったあげくの修辞も出てくる。
おそらく羽化したての濡れたような
言葉であるにちがいない。

こんどはいい候補作をたくさん読んだが、
高望みすると、右のような要素がすこしでも
入ってくれば、もっとよかったかもしれない。

しかし、作文のつらさは、審査者が居ることである。
むりでしょうが、意識なさらないように。」


はい。今回は第一回目の選評を引用しました。
「カツ丼」という言葉で、もう私は満腹(笑)。
明日。第二回目の選評を引用することに。


ちなみにですが、
平成8年2月12日、司馬遼太郎死去(73歳)。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする