和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

心を師とする事なかれ。

2023-08-08 | 思いつき
中田喜直が、サンケイ新聞のインタビューに答えていて
印象深い箇所がありました。

「『 子供の歌を作るとき、どんな考えで作られますか? 』
  と中田はよく聞かれた。そんなとき、中田は必ず

 『 子供のことを考えないで作ります 』と答えていた。

 要するに
 『 子供や大衆に媚びたら駄目で、他人のことはあまり考えず、
   自分の考えを率直に表現することが一番大切 』だということだ。  
   ・・・・・

  伴奏についても、中田は、
 『 私は童謡を沢山作っているが、
   メロディーよりも伴奏のほうに力を入れ、
   時間をかけて作ることが多い。
 
   子供にはどうせ分からないから簡単にして、
   幼稚園の先生でも弾けるようにやさしく、
   などと考えたことはない。

   いつも、その詩に一番ふさわしい音楽
   であることだけを考えて作曲してきた 』  」

 ( p115~116 牛山剛著「夏がくれば思い出す 評伝中田喜直」新潮社 )


はい。この箇所が印象に残ります「こども・こころ」と連想。そういえば、
『 心を師とする事なかれ 』という言葉を、誰かがどこかで引用してた。

検索すると
鴨長明の『発心集』にあるらしい。
鴨長明といえば『方丈記』しか思い浮かばない私ですが、まずは、
新潮日本古典集成の『方丈記 発心集』をひらいてみることに。

発心集の序の、まずはじまりに、その言葉が置かれていました。

「 仏の教へ給へる事あり。
 『 心の師とは成るとも、心を師とする事なかれ 』と。
  ・・・・    」

はい。この新潮日本古典集成は、現代語訳はないのですが、
本文の上に、注釈が詳しいので、さっそくはじまりの注釈を見る。

「『涅槃経(ねはんぎょう)』二十などの経論に
  同趣旨の一節が多く見えるが、直接には

 『 もし惑ひ、心を覆ひて、通・別の対治を修せんと
   欲せしめずは、すべからくその意を知りて、
   常に心の師となるべし。心を師とせざれ 』
      ( 「往生要集」中・大文五 )による。   」


うん。『心の師となるべし』。
そのためには、発心集とか、往生要集をひらかなきゃいけないと
そう思ったわけです。
すくなくとも、私にはチンプンカンプンの、この発心集ですので、
現代語訳付きの文庫をさっそく注文することにしました。

コメント
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