中田喜直が、サンケイ新聞のインタビューに答えていて
印象深い箇所がありました。
「『 子供の歌を作るとき、どんな考えで作られますか? 』
と中田はよく聞かれた。そんなとき、中田は必ず
『 子供のことを考えないで作ります 』と答えていた。
要するに
『 子供や大衆に媚びたら駄目で、他人のことはあまり考えず、
自分の考えを率直に表現することが一番大切 』だということだ。
・・・・・
伴奏についても、中田は、
『 私は童謡を沢山作っているが、
メロディーよりも伴奏のほうに力を入れ、
時間をかけて作ることが多い。
子供にはどうせ分からないから簡単にして、
幼稚園の先生でも弾けるようにやさしく、
などと考えたことはない。
いつも、その詩に一番ふさわしい音楽
であることだけを考えて作曲してきた 』 」
( p115~116 牛山剛著「夏がくれば思い出す 評伝中田喜直」新潮社 )
はい。この箇所が印象に残ります「こども・こころ」と連想。そういえば、
『 心を師とする事なかれ 』という言葉を、誰かがどこかで引用してた。
検索すると
鴨長明の『発心集』にあるらしい。
鴨長明といえば『方丈記』しか思い浮かばない私ですが、まずは、
新潮日本古典集成の『方丈記 発心集』をひらいてみることに。
発心集の序の、まずはじまりに、その言葉が置かれていました。
「 仏の教へ給へる事あり。
『 心の師とは成るとも、心を師とする事なかれ 』と。
・・・・ 」
はい。この新潮日本古典集成は、現代語訳はないのですが、
本文の上に、注釈が詳しいので、さっそくはじまりの注釈を見る。
「『涅槃経(ねはんぎょう)』二十などの経論に
同趣旨の一節が多く見えるが、直接には
『 もし惑ひ、心を覆ひて、通・別の対治を修せんと
欲せしめずは、すべからくその意を知りて、
常に心の師となるべし。心を師とせざれ 』
( 「往生要集」中・大文五 )による。 」
うん。『心の師となるべし』。
そのためには、発心集とか、往生要集をひらかなきゃいけないと
そう思ったわけです。
すくなくとも、私にはチンプンカンプンの、この発心集ですので、
現代語訳付きの文庫をさっそく注文することにしました。