唐澤平吉著「花森安治の編集室」(晶文社・1997年)の
本文のいちばん最後に『夏休み』という言葉がありました。
そこを引用しておくことに。
「お孫さんが夏休みで上京してきたとき、
研究室につれてきて、その日は一日中ホッペたがゆるみっぱなし。
もうトロトロ。しかしトロけてしまうことは、ありませんでした。
ほんとうは、一時間でも早く、かわいい孫のまつ家に帰りたかったはず。
いや、しごとなんか放りだして、いっしょに夏休みをとりたかったはず。
でも、しなかった。非情をつらぬきとおしてみせました。
そこに花森さんの、大きな愛のすがたがありました。
ともすると、花森安治が『暮しの手帖』にかけた半生は、
独裁的で無情にすらみえる場合がありました。しかし、
けっして利己的でも無慈悲でもなかったのです。
つよい意志を秘めた人間だけがしめし、
公平にあたえることができるこころでした。
そのこころとすがたが、見まごうことない一つの大きな像となって、
わたしのこころにようやく結びました。
部員ばかりか、家族にさえも非情に徹し、
どんな小さなしごとにも愛情と全力をそそぎ、
編集者として生きぬいた、ひとりのアルチザンの半生。
・・・・・ 」(p207)
そのすこし前には、こうあったのでした。
「 ――六十六年の生涯でした。
早春の風のように、花森安治は、わたしの前から去ってゆきました。
『 みなさん、どうもありがとう 』 のことばと、
テレたようなちいさな微笑を一つのこし、
なにごともなかったかのように研究室に訣(わか)れをつげて、
颯然といってしまいました。
その日から、十九年の歳月がながれました。 」(p261)