牛山剛著「 夏がくれば思い出す 評伝中田喜直 」(新潮社・2009年)。
はい。古本で購入しました。
著者の牛山剛氏は、1931年生れ。
「テレビ朝日の音楽プロデューサーとして『題名のない音楽会』などを制作」。
本の「おわりに」で牛山氏はこう書いております。
「先生が亡くなられて、私はすぐにふたつのことが頭に浮かんだ。
ひとつは、
先生の作品を唱う音楽会を、できたら毎年開催したいという思いである。
もうひとつは、
先生の人と音楽を紹介する本が、きっとそのうち出版されるだろう、
それへの期待であった。
前者は、夫人の幸子さんと相談して、翌年から
『 水芭蕉忌コンサート 』として実現させることができた。
しかし、私が期待した本は・・出なかった。・・7年の月日が
過ぎ去ってしまったとき、もしかしたら私が書かなければならない
のだろうか、と思った。・・・ 」(p267~268)
はい。充実した内容の評伝となっております。読めてよかった。
「完成した≪ 夏の思い出 ≫はシャンソン歌手の石井好子によって歌われ、
昭和24年6月12日から一週間放送された。中田音楽の真骨頂ともいえる
リリックで優しいメロディは、たちまち人々の心をとらえ、
日本人の愛唱歌として口ずさまれるようになってゆく。・・・・
石井好子は、これを唄った頃を思い出して綴っている。
『戦争があり敗戦を迎え皆貧しく不幸だった頃、
≪ NHKラジオ歌謡 ≫で歌うことになった。
中田喜直作曲・江間章子作詞の≪夏の思い出≫。
喜直さんが推薦して下さったと聞いて有り難く、嬉しかった。
私はその頃クラシックからはなれ、ジャズやシャンソンを
歌い始めたものの手探り状態で、いったい自分が何を歌って
ゆくべきか分からず悩んでいた。・・・・
ある夕方、私は自宅の近くを歩いていた。
ラジオから≪ 夏の思い出 ≫の歌声が聞こえた。
私は立ちどまり、垣根越しに家の中から流れてくる
自分の声に耳を澄ました。
辛かったあの頃、絶望的でもあったあの頃、
≪ 夏の思い出 ≫を聞きながら ・・・・
かすかな希望を持った事が忘れられない 』
(「第六回水芭蕉忌コンサート」プログラムより)」(p99)
「この≪ 夏の思い出 ≫を合唱曲に、あるいはオーケストラ演奏に
編曲した音楽家は多い。作曲家の若松正司(まさし)もそのひとりである。」
「 若松はこう語っている。
『喜直先生の一周忌のパーティの最後に、
全員がその場に立って≪ 夏の思い出 ≫を唱いました。
歌手たちが目を真っ赤にして唱っているのを見て、
皆同じ思いなのだと思いました。私は・・・移動して顔をかくして
いましたが、涙が止まりませんでした。
≪ ちいさい秋みつけた ≫は短調なので、確かに音楽的に
しみじみとなりますが、実はそれ以上に、明るい曲調の
≪ 夏の思い出 ≫が私の心を揺さぶりました。
江間章子作詞の≪ 思い出す ≫という言葉のところで、
帰らぬ人となられた喜直先生が今いらっしゃるのは、
≪ 遥かな ≫≪ 遠い空 ≫のようにも思えたりします。
あのメロディの美しさは、すこしも深刻ぶらなかった喜直先生そのままの、
飾りはすべて削ぎとられている淡々とした美しさだと思います。 』 」
( p99~101 )
本文は、序章の次に、第一章~第十一章、さらに最終章まで、
各章ごと原石をカットしてゆくような輝きを私は感じました。