和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一人やったら厭やろから。

2023-08-19 | 本棚並べ
200円の古本に、
富士正晴著「狸の電話帳」(潮出版社・1975年)があった。
雑文集なのですが、装幀・谷川晃一。挿画・富士正晴。
最初は気づかなかったけど、薄い和紙が挟まっていて、
栞サイズ和紙に「濱田哲様 富士正晴」と、筆の署名。

うん。いっしゅん、夏の暑さを忘れました。
はい。署名本なんて私の趣味じゃないのですが、これは別でした。
そのままの、水墨画のような味わいに、手をひたしているような
( 何をいっているのやら )。

はい。せっかくこの本をひらくのですから、
ちょいと引用しなくちゃね。
「司馬遼太郎夫婦との交遊」と題する3頁ほどの文。
これは( 「司馬遼太郎全集」月報9・1972年5月)からです。
そこから引用。富士さんが電話でたずねる話からはじまっています。

「・・・司馬遼太郎は大抵のことは即座にさばき、
 さばけぬ時はわざわざ調べてくれる。親切この上もない。
 
 しかし、時には溜息をつく。
 『 あんたみたいに万里の長城をこっちに飛び、あっちに飛び
   するようなことを聞いてくるのは閉口するなあ 』
 
 こう、時にはいうわけである。
 司馬遼太郎から何かを質問してくることはほぼない。

 ・・・・ごくたまの司馬遼太郎から富士正晴への質問電話は
『 あんたこのごろ一向に電話かけてこんけど、病気してるのとちがうか 』
 とか、
『 明日、表彰式にちゃんと出るやろな。
  一人やったら厭やろから、ぼくも会場へ行って
  控え室におったげるわね。こなあかんで 』

( わたしが照れくさがって表彰式へ来ないのだと思っているのだ。
  そのくせ、ずっと前、同じ賞を彼が受けた時、彼は行かずに
  妻君に代行させた。妻君はいまだに、思い出すのもいややわ
  といっている。 )

 とにかく、司馬遼太郎の電話は優しいのだ。
 敬老の念はなはだあついのやら、
 幼児をお守りしてくれている気なのやら 
 判らない。半々であるかも知れない。   」( p236~237 )


ちなみに、あとがきには、こんな箇所が

「・・五冊目のわたしの雑文集がこれである。
 すべて、松本昌次、濱田哲、松本章男、藤好美知、高橋康雄の
 五人の編集者の方の随意の原稿選択、随意の配列、随意の造本、
 随意の表題によるもので、

 著者としてはどんなものが出来上るか大変楽しみが多かった。

 そういうわけで、本の出来方が一貫しており、
 わたしの感謝の念も、五人の編集者の方々すべてに
 一貫して存在しているという気がする。

 いわば、五人の方々がわたしを廻し遊んでいるような気がしないでもない。
 『 らかんさんが揃たらまわそじゃないか 』という具合にである。
 大いに感謝したい。   」(p295)


そうかそうか、本にはさまっていた栞は、
感謝をこめた、宛名書き署名だったのだ。
コメント
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