吉村昭著「磔」にあるらしいのですが、未読。
ここには、曽野綾子著「ほんとうの話」(新潮文庫)。
ちょっとですが、明治10年に起きたコレラのパニックが書かれておりました。
「・・・何のいわれもないどころか、いいこをして殺された人までいる。
たまたま今、手許にある新聞には、明治初期の千葉県鴨川の医師・
沼野玄昌という方のことが出ている。
明治10年に、全国的に猛威をふるったコレラは、10月になると当時、
長狭(ながさ)郡貝渚(かいすか)村と呼ばれた鴨川にも発生した。
近隣の村を合わせると、患者480人のうち261人が死んだのである。
村人たちは奇病を恐れてパニック状態に陥った。
沼野医師は、漢方、蘭方、解剖外科にも明るく、
『 西洋医学も修めた医師 』として医学知識のない村民たちを相手に
防疫に当ることになった。何の衛生知識もない村人たちは、
汚物は川に捨てる、死者は土葬にする、という調子だったから、
沼野医師はまず火葬をすすめ、井戸にクロール石灰を投げいれたりした。
しかしコレラはそうは簡単にはおさまらないので、
村人は沼野医師を信じなかった。
『 あの医者は、金もうけのために、井戸に毒を入れてわざと病人を作っている 』
と彼らは言い、或る日、ついに竹槍やくわで、当時41歳だった沼野医師を
惨殺したのである。この話は、土地の人々の間でも思い出したくない話しとして、
長い間タブーになっていたのだが、今度101年目に慰霊碑が建ち、
児童公園もできたという。
別に恥じることはない、と私はおもう。
私がその場にいても、恐らく医師殺害に与(くみ)したろうと思うし、
私の父母も、その場に居合わせたら、医師を憎んで竹槍をふるったかも
知れない。人間、誰しも考えること、やることは、同じようなものである。
ただそこには、人間が普遍的に犯すあやまちがあるだけである。 」(p96)
私は「安房郡の関東大震災」をテーマに語ろうとしてるのですが、ここで、
流言蜚語に立ち向かう、指導者としての大橋高四郎を、まず思うのでした。