曽野綾子著「揺れる大地に立って」(扶桑社・2011年9月10日発行)。
そのなかに「スイスの『民間防衛』に学ぶ」(p107~)という箇所。
すこし引用してみることに。
「・・第2の理由として、私の頭の中のどこかには常に毎日の生活が
崩れる日に備えて、幾ばくかの備蓄をするということは国民の義務
だという観念があった。
それを私に教えてくれたのは、スイス連邦法務警察省発行の
『 民間防衛 』という本であった。・・・
16歳以上の国民には、この『民間防衛』なる小冊子が配られる
と聞いていた。今、私の手元にあるのは、1974年7月に原書房
から発行された第2刷である。・・ 」(p108)
そして、すこしあとに、こんな箇所がありました。
「 備品の中に聖書があるというのもスイスらしい。
日本だったらもちろんお経文を持ち込む人もいるだろう。」(p 113 )
今回は、この『お経文』という箇所が気になりました。
私事。5月20日21日と葬儀に親族としておりました。
日蓮宗の坊さんに通夜と本葬と、
『妙法蓮華経』のお経本の読経をしていただき。
二日にわたって、その読経について声を出しておりました。
開経偈(かいきょうげ)からはじまり
妙本蓮華経。方便品。第二 とつづき
欲令衆(よくりゃうしゅ)は、漢字と平仮名でした。
まだ、読経はつづくのですが、ここには
欲令衆にふれることに。
通夜では、「欲令衆」の一部を全員で読経し
本葬では、「欲令衆」の全文をお坊さんが、立ち一人で読経されておりました。
その通夜での一部読経された「欲令衆」の箇所を、ここに引用しておきます。
「 三界(さんがい)は安き事無し。
猶(なお)火宅(かたく)の如し。
衆苦充満(しゅうくじゅうまん)して甚だ怖畏(ふゐ)すべし。
常に生老病死(しょうろうびょうし)の憂患(うげん)あり。
是(かく)の如き等(ら)の火、熾然(しねん)として息(やま)ず。
如来(にょらい)は已(すで)に三界(さんがい)の火宅を離れて、
寂然として閑居(げんこ)し、林野(りんや)に安處(あんじょ)せり。
今此三界(いまこのさんがい)は、皆是れ我有(わがう)なり。
其中の衆生(しゅじょう)は、悉(ことごと)く是れ吾子(わがこ)なり。
而(しか)も今此處は、諸(もろもろ)の患難多(げんなんおほ)し、
唯我一人(ただわれいちにん)のみ能く救護(くご)をなす。 」
はい。「欲令衆」の三分の一ほどを、通夜の席で読経しました。
「欲令衆」の文は漢字と平仮名まじり、私にも理解しやすい。
はい。それに、漢字にはきとんとフリガナがありありがたい。