和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

オモロイ考えやなぁー。

2019-07-11 | 本棚並べ
河合隼雄著「対話する家族」(潮出版社)。
古本で購入(300円)。カバー帯つき。
めくったことがないようなページ(笑)。

その「あとがき」(1997年7月)から
ここを引用。

「Ⅳは、『京都新聞』に『現代のことば』というコラムがあり、
多くの担当者が順番に二か月に一度ほどのペースで寄稿する。
他の執筆者のを読むのが楽しみで、これは現在もずーっと
続いている。・・・」

はい。京都とあると、反応する私がいます(笑)。

さてっと、その京都新聞に掲載された『標準語』。
正味2ページの文ですが、そこで河合氏は
こうはじめます。

「最近、ある出版社の企画で、『授業』の研究をしている。
小・中学校の授業をビデオで見て、・・討論する。」


そこでの、子どもたちの発表を見ながら、
『何かもの足りない』と思った河合さんは
こう指摘します。

「どこかつくりものの感じがして
生き生きとしていないのである。・・・・
ビデオというものは面白いもので、
発表が終わってしまってから席に帰ってゆくとき、
子どもたちが『うまく行ったぞ』という調子で
話し合ったりしているときは、その表情の輝きを
チャンととらえてくれるのである。

これはタテマエとホンネをあまりにも
分けすぎる日本人の欠点で、子どもたちに偉そうに言っても、
われわれ大人の方が・・無表情に味もそっけもないことを
言うのと同じことで、『授業』を見ていると、『日本文化』の
原型がわかる・・・と大人の方も反省させられた。

・・・
もうひとつ問題になったのは『標準語』ということである。
・・・お国の言葉で言うと、言っていることに感情が伴う。
子どもが『今の意見は、よかったと思います』というのと、
『オモロイ考えやなぁー』というのとでは随分感じが
違うのではなかろうか。」

さてっと、このあとが京都新聞だから、
ごく自然に語られた箇所じゃないかと
ついつい思ってしまう私がおります。
では、その箇所を引用。

「私自身は意図してやっているわけではないが、
いつでも関西弁になってしまう。
テレビにはじめて出演したとき、張り切って
45分間を『標準語』で話すように
集中してやり抜き、終わってほっとしていると、
ディレクターがにこにこしてやってきて
『先生の関西弁はよかったですね』と言われて、
参ったことがあった。
それ以後ともかく、普通にしゃべることにして、
無理に標準語で話そうなどとは思わないことにした。」
(p313~315)


さてっと、これを読んだ京都新聞の読者。
そうして、「現代のことば」のコラム寄稿者の方々は、
そうそう、と読んだような気がしてくるじゃないですか。
うんうん。『オモロイ考えやなぁー』とつぶやいたかなあ。




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