はい。先頃、現代語訳ですけれども、歎異抄をはじめて読みました。
うん。はじめて浮かびあがる、年齢相当の連想と感想がありました。
忘れないうちに、記しておくにことにします。
親鸞の『歎異抄』から、吉田兼好の『徒然草』へと連想はつながります。
実際は吉田兼好(1283~1352)誕生の、21年前にもう親鸞は没しており、
吉田兼好誕生の、71年前に法然は没しています。世代は違っていました。
ただ、唯円による『歎異抄』の成立は、1290年頃となっておりました。
『歎異抄』は、「おのおの方が、はるばる十余カ国の境をこえ・・
訪ねてこられ」。その質問に答えているのでした。
そこでの親鸞は、こう答えておりました。
「わたくし親鸞においては、ただ念仏を申して
弥陀にたすけていただくがよいと、
よきひと(法然)のおおせをいただいて信ずるだけであって、
そのほかにはなんのいわれもないのである。
・・・・・・・・
法然のおおせもまた、そらごとではあるまい。
法然のおおせがまことならば、親鸞の申すことも、
また、うそのはずはなかろう。つまるところ、
わたしの信ずるところは、かようである。このうえは、
念仏を信じようと、また、捨てようと、すべては、
おのおのがたの考えしだいである。・・ 」
( 現代語訳・増谷文雄 )
つぎに、思い浮かんだ徒然草の第39段の現代語訳を引用。
「ある人が、法然上人に向かって、
『 念仏を唱える時に、睡気(ねむけ)におそわれて、
念仏の行を怠けますことがございますが、
どうして、このさまたげをやめましょうか 』
と申し上げたところ、上人は、
『 目のさめている間は、念仏を唱えなさい 』
とお答えになったが、これはたいへん尊いことであった。
また、ある時は、
『 往生は、きっとできると思えばきっとできることであり、
できるかどうか確かでないと思えば、不確かなことになるのである 』
と言われた。このことばも、尊いことである。
さらにまた、
『 往生できるか、どうかと疑いながらでも、
念仏すると、往生するものである 』
とも言われた。このことばもまた尊いことである。 」
( p191~192 安良岡康作著「徒然草全注釈 上巻」角川書店・昭和42年 )
ちなみに安良岡康作(やすらおかこうさく)氏の
本の第39段解説(p193~195)は読めてよかった。
ここには、最初の方にある、2箇所を引用しておわります。
はじまりにはこうありました。
「この段は、三つの段落より成り、いずれも、
法然上人の語を挙げて、それを
『 いと尊かりけり 』『 これも尊し 』『 これもまた尊し 』
と讃嘆しているのである。・・・ 」
その少し後には、こうもありました。
「第一の『 目の醒めたらんほど、念仏し給へ 』は、
他書に出典の見いだされぬ語である。
しかし、自己に可能なることを自覚せず、
不可能事ばかりを障碍として考えたがる人間の
心の弱さ・安易さを鋭く指示しているところに、
この答語の輝きが認められる。そして、
それは、念仏の行を強調した法然の信仰につながっている。」
(p193)
この関連本として、わたしに興味深い指摘が読めたのは、
西尾實著「作品研究 つれづれ草」(学生社・1955年)
島内裕子著「兼好 露もわが身も置きどころなし」
(ミネルヴァ日本評伝選・2005年)
うん。これらを、つなげてゆくと奥行きがでるのでしょうが、
今回はこのくらいで。最後に、おのおのの年齢を記しておきます。
法然 ( 1133年~1212年 )80歳
親鸞 ( 1173年~1262年 )90歳
兼好 ( 1283年~1352年 )70歳?
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