和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あの二人くらいです。

2018-10-03 | 産経新聞
産経新聞9月30日一面左は、
曽野綾子さんの連載。
この日の題は「『新潮45』突然の休刊」。

「・・私のように、60年以上『書く』生活をしていると、
この世界のあらゆる出来事にぶつかっている。
雑誌の休刊はもちろん、出版社の倒産も、
担当編集者が原稿をなくした、というケースもあった。
どれもちょっとした不都合だが、『大事件』ではない。
プロの作家というものは、なくされた原稿を、
『はいはい』と言いながら、再び書く
人間であるべきこともわかった。

私は『新潮45』の誕生の時から立ち会っている。
詳しい日時の記憶はないが、当時のマスコミは、
左翼的ポーズを取らねば進歩的でないと思ったらしく
(もちろん戦後であるにもかかわらず)、
私は産経を除く多くの全国紙に、
なかなか原稿を書かせてもらえなかった。
私にとっては、明らかに言論統制の時代だった。
その当時『新潮45』はそうした
『恐怖に満ちた言論の自主規制』を破る役目を果そうとしていた。

雑誌が経済的な理由で廃刊になる例も、いくつか見てきた。
私はいたましく思いながら、いつかまた、
慈雨が降り、日差しが降り注ぐ日のあることを信じてきた。
編集者たちは、その芽吹きの時のための種子であった。
・・・・・

世間はあまり言わないことだが、
表現にかかわる人々には日々勇気が要る。
時にはそれが現実の身の危険にも及びかねないのだが、
それがその出版社や個人の気構えとして評価されるものだろう。
・・・」

はい。おもわず全文を引用したくなるのですが、
産経新聞を購読されている方は、それが出来る(笑)。

ちょっと、本棚から取り出してきたのは
曽野綾子・クライン孝子「いまを生きる覚悟」(到知出版社)
でした。
そこからも引用しておきます。

曽野】あの本は沖縄の集団自決が本当に軍の命令だったのかどうかを
戦後二十年目に一人で調べたんです。

クライン】大江健三郎さんなんかがさも見てきたように
書いていたそのテーマに敢然と挑戦された!

曽野】雑誌の『諸君!』に連載したものをまとめたものですが、
あの時、編集長と担当編集者に
『こういうことを書いたら沖縄を刺激するし、ご迷惑ですね』
と言いましたら、
どんな反対の世論があっても影響させません、
と言ってくれた。
戦後、私が本物のジャーナリズムだと思ったのは、
あの二人くらいです。
・・・・(p42)

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